創作のヒント~短編小説の着想から完成まで

帯広市図書館文章教室

始めまして、五嶋純有と申します。 職業は、中学校の教員です。現在は、教員生活は、もう30年ほどになります。定年まで残り3年、なんとか頑張りたいと思います。 さて、小説の話題に入ります。現在、帯広市図書館から発行されている「市民文藝」の編集委員長と、十勝毎日新聞の日曜日に掲載されている「郷土作家アンソロジー」の選考委員をさせていただいています。 別に、このような選考委員の仕事は、やりたくてやっているわけではないのですが、創作活動をしていく上で自分自身の刺激や勉強にもなりますし、またコツコツと執筆活動をされている管内の書き手の皆さんを支援していきたいし、作品発表への手助けになればと思って続けさせてもらっています。 さて、自分自身の創作活動ですが、20代の頃から趣味でずっと書いていて、中央の文藝雑誌にも何度も投稿したりしたことがありますが、残念ながら未だに入選できずにいます。どうも、自分には小説家としての優れた才能というものがないみたいです。これから私が小説を書く場合の裏話をしていくわけですが、私の手法を真似したとしても、市民文藝や勝毎アンソロジーには入選できても、中央の文芸誌では入選できないかもしれません。そこのところをしっかりと承知していただいた上で、お話を聞いていただければ幸いです。 私が37歳の時、今から20年ほど前ですが、帯広市の図書館から発行されている「市民文藝」に原稿用紙100枚の小説を投稿しました。その作品「レフト・アローン」が入選したのが最初で、その後も毎年「市民文藝」に小説を投稿して、平成8年には、「市民文藝賞」をいただきました。現在は、郷土作家アンソロジーの招待作家として、年に2回、作品を載せさせてもらっています。(諸般の事情から、円覚寺要というペンネームで発表してます) 時間がもったいないので、自己紹介は、このあたりで終わりにいたします。
 さて、本日は、私が、小説の着想を得てから、どんなふうに作品を作り上げていくかという、書き手の側の裏話をしようと思います。 私の中で、浮かんできたアイデアが、どんなふうに作品として仕上がっていくかという過程を知っていただくために、実例として、その小説も読みます。原稿用紙16枚の短編小説ですので、すぐに読めてしまうと思います。 作品は2つ準備しています。
 まず最初は「ヒョー・ヘー・ヒョク」という小説です。 この作品は、十勝毎日新聞に、平成12年7月23日に掲載されました。(今から12年ほど前に書いた作品です。今回、講座のテキストとして使うにあたり、多少の加筆修正をさせていただきました) さて、「ヒョー・ヘー・ヒョク」なんて言葉を聞いても、何のことか、さっぱりわかりませんね。これは腸が捻れて閉じてしまう「腸閉塞」という言葉が、なまって「ヒョー・ヘー・ヒョク」となりました。どうして、そんな風になまってしまったかは、小説の内容とも関わるので、後ほど説明します。 実は、私は今から14年ほど前、3月の卒業式の直前でしたが、色々とストレスが溜まってしまって腸閉塞になってしまいました。 当時、私は中学校横の教頭住宅に単身赴任をしていました。夕方からお腹が痛み始め、夜中にはお腹がちぎれるようなほど激しい痛みになってきました。脂汗がじっとりと滲み出てくるような、そんな七転八倒するような激痛です。朝を迎え、村の診療所に診てもらいに出かけました。そこで診てもらったら、どうも腸閉塞らしいから、帯広の大きな病院で診てもらってくれと言われました。 妻は一緒に住んでおりませんので、帯広まで連れていってもらえる相手もおりません。やむを得ず、自分で車を運転していくことにしました。腸がちぎれるような激しい痛みをこらえながら、ハンドルにしがみつくようにして、帯広に向かって車を運転していくのですが、あまりに痛みが激しくて、真っ直ぐに車を走らすこともできません。センターラインを越えてふらふらしながら運転していきました。 なんとか帯広まではたどり着くことができましたが、中心街の大きな病院にたどり着く前に、もうそれ以上痛みに我慢することができなくなって、国道沿いの内科専門の個人病院の駐車場に車を入れました。 その内科専門の病院は、外科手術を行いません。ですから、鼻から胃に細い管を入れて、胃から分泌される消化液などを抜き出す内科的処置をしてくれましたが、そういった方法で閉じた腸が自然に開くのを待つという治療方法でした。 結局、3日間ほど、その病院に足止めされました。最後には、もうどうしようもなくなって、4日目の朝に厚生病院へと移されることになったんですが、その日の午後に、緊急の手術を受けて、なんとか命だけは助かりました。本当に死ぬ寸前でした。 さて、前置きが長くなりましたが、その時の体験をもとに、短編小説を書いてやろうと考えました。ただし、実体験をそのまま時間を追って書いていっても、それは体験談であって、小説ではありません。 まず、小説にするための基本的な構想を頭の中で練ってきます。 勝毎アンソロジーの場合、原稿用紙で16枚という制限があります。 ですから、トルストイの「戦争と平和」みたいに、登場人物をたくさん出して、10年間にも20年間にも渡る大河小説なんて書けるわけがありません。また、扱うテーマにしても、人生とは?、家族の絆とは? 戦争と平和とは?なんて壮大なテーマは扱えません。16枚という範囲内で扱えるテーマ設定ということになります。 いずれにしても、16枚という範囲で、物語の時間も、登場人物も、また扱うテーマもコンパクトにまとめなくてはなりません。16枚という小さな器に見合った中身を考えなくてはならないということです。 先ほど私自身の腸閉塞の経験を話しましたが、それでは16枚の小説として、どこから物語を始めて、どういう場面で物語を終わらせるのか、ということがます最初の大切な問題になります。 実体験でいけば、手術後も10日ほど食事を止められたり、次から次と見舞い客が訪れてきたり、また経過が悪くて再手術を受けたりと、その後の出来事が次から次へと続いていくわけですが、小説はどこかで終わらせなくてはなりません。 小説の場合、スタートとエンディングを決めた段階で、その作品の良し悪しがおおむね決まってしまいます。それくらい、初めと終わりというのは重要です。 今回の作品の場合、入院した個人病院の病室に妻がやってくる場面から始めて、内科的治療に失敗して大病院に転院することが決まる場面をエンディングにもってくることにしました。(ただし、回想する形で、前日に腹痛を起こして病院に入院するまでの経緯も挿入しています) それから登場人物ですが、実際の体験ではは、二人の子供やら私の両親やら、職場の同僚やら大勢の知り合いが見舞いに来てるんですが、それらの余計な人物は、もちろんカットします。短編小説の場合、必要最低限の登場人物でよいです。結果的に、語り手の私、その妻、病院の先生、看護婦、同室の患者、以上の5人を登場させることにしました。この5人がいれば、十分に物語は構成できると考えました。 テーマは、腸閉塞で七転八倒する主人公の悲惨な可笑しさ、といった程度のものを考えました。 そういった構想を、私の場合は漠然と頭の中で組み立てていきます。あまり事前に小説の構想をメモしたりしません。100枚くらいの小説を書くときも、章立てと簡単な中身を書くくらいで、それほどカチッと細部まで作りあげません。フレキシブルで、途中の物語が多少変わってきてもいいくらいの、そんなざっくりした構想を頭の中で組み立てます。書き進めているうちに、こういう話の流れの方が、もっと面白くなるなと感じたら、そちらに変更していくこともあります。(これは、あくまで五嶋方式ですから、他の人が、この方法でいいかどうかは、自信がありません) さらに、今回、この小説を、エンターテイメント風に面白く仕上げていくために、いくつかの方針を決めました。 まずひとつ目は、喜劇にしてやろうということでした。主人公が激痛で苦しんでいる悲惨で深刻な状況というものを、そのまま悲惨さを強調するように描くのではなく、逆に笑い飛ばしてしまうような、そんな楽しい小説にしてやろうと考えました。  二つ目ですが、主人公の悲惨な状況を浮き彫りにするために、冷たくクールな妻を登場させることにしました。彼女は、自己中心的で身勝手な女なので、腸閉塞で苦しんでる夫になんかほとんど同情しません。そういう冷たい妻が登場することで、夫の悲惨で哀れな状況といったものが余計に際だって見えるだろうと計算しました。 三つ目ですが、鼻から喉を通って胃まで、ビニールの管を入れてるので、夫は、ちゃんとした言葉が喋れません。タイトルの「ヒョー・ヘー・ヒョク」ですが、本人は「腸閉塞」という言葉をきちんと発音しようと努力してるんですが、「ヒョー・ヘー・ヒョク」としか言えません。そうやって、きちんとした日本語が喋れない状況を強調することで、主人公の哀れな状況を強めてやろうという作戦を立てました。
 というようなあたりまで頭の中で練り上げてから、パソコンの画面に向かいました。 それでは、その完成品の小説を読みます。 (ここで「ヒョー・ヘー・ヒョク」を配布し、読む)
  さて、「ヒョー・ヘー・ヒョク」はいかがでしたか。 実際に読んでみて、主人公の悲惨な状況を、笑い飛ばすことができましたでしょうか。楽しくなければ、喜劇を書こうとしていた私のねらいが見事にはずれてしまったということになります。 ところで、事前には話しませんでしたが、私は小説を書く場合、特に2つのことに配慮をします。 一つ目は導入の1、2枚あたりの部分です。この導入部分で、主人公がどういう人物で(男か、女か、年齢はどれくらいか、どのような職業なのか)、また今どのような状況にいて、これから何をしようとしているのか、ということを読者に伝えなくてはなりません。でも、そのようなことを箇条書きのように説明してしまったのでは、解説文になってしまって、物語にはなりません。 ですから、主人公の外見、心の中で考えている独白、他人との会話、あたりの情景などを書き進めながら、できるだけ何気なく、主人公の現在の状況といったものを読者に伝えるように工夫します。 ここの導入部分がスムーズに書けて、読者を物語の世界にうまく誘い込むことができれば、小説の半分くらいは成功したことになります。 2つめは、どのように物語のクライマックスを持ってくるかという点です。これは、私が最も大切にしている点です。 最初から最後まで、同じ調子で淡々と物語が続いていくというタイプの小説は、(純文学ものに、実は、このような小説は多いですが)、読む場合にしても、自分が書く場合にしても、あまり好きではありません。やっぱり物語というのは、多少の紆余曲折があって、主人公の気持ちも上がったり沈んだりして、それで最後には盛り上がって終わってほしい。ですから私も小説を書くときには、どういうふうに物語を盛り上げていって、どういう場面で終わらせるかというエンディングに結構こだわります。 物語を書く場合も、エンディングの場面だけは、きちっと考えて物語を書いていくことが多いです。今回は、胃カメラを使ってビニールの管を腸の奥まで入れようと医者が四苦八苦したあげく、一旦は奥まで入ったのに、胃カメラを抜くときに、ビニールの管と絡まって、一緒に抜けてしまい、医者は激しく落胆し、主人公の僕は、めでたく大病院に転院できる、というというオチを、物語のクライマックスにしてやろうと当初から考えていました。  起承転結の、特に転から結にかけて、クライマックスからエンディングまで、どのように展開していくかという点だけで、大げさに言えば、作品の面白さが決まってしまいます。短編小説の場合は特に、書き手の力量が、最後の1枚で決まってしまうと言っても過言ではありません。 それから、作品名(タイトル)について話しておきます。今回は、主人公が「腸閉塞」という言葉を語るときの「ヒョー・ヘー・ヒョク」をタイトルに使いました。 自分の小説の中では、なかなか洒落たタイトルだと満足しています。 小説のタイトルというのは、人の場合に当てはめれば「名前」のようなものです。ですから、その作品の世界を象徴するもので、わかり易く端的な表現で、それでいて読み手の興味を引く言葉、というものが望ましいと思います。「ヒョウー・ヘー・ヒョク」って何だろうって読み始めて、読み進めるうちにタイトルの意味がわかってくる。また、漢字の「腸閉塞」ではなくて、カタカナの「ヒョー・ヘー・ヒョク」という言葉に、主人公が陥っている可笑しくも、もの悲しい状況が象徴的に表現できているのではないかと考えて、これをつけました。 タイトルの長さについては、私個人は、1単語よりも、ちょっとした短いフレーズのタイトルが好きです。村上春樹のデビュー作「風の歌を聞け」なんて、洒落ていて、現代風で、とっても好きですね。最近、本屋大賞を受賞した三浦しおん氏の「舟を編む」なんてのも、象徴的で、心を惹くタイトルだなと思います。 ちなみに、私が市民文藝賞をいただいた小説「永遠色の夏」これも気に入ってます。




 続いて、「人を焼く」という小説に入ります。 私は、現代を舞台にした小説しか書かないのですが、これはたまたま太平洋戦争を舞台にした、自分としてはかなり珍しい作品です。 この小説のアイデアは、もともと私の父親の体験談から来ています。 私の父は、大正12年生まれ、現在89歳で健在ですが、太平洋戦争中、21歳から22歳くらいにかけての頃、徴兵を受けて、最初は満州に、その後、終戦間際は、沖縄の向こうの宮古島にいました。その時の兵士としての苦労話を聞いたのが、そもそもの作品作りのアイディアになってます。 私の父は、宮古島では、毎日、島の地下にもぐり、島を縦横に走る横穴を掘っていました。米軍が上陸してきた時に、東でも西でも南でも北でも、どこにでも大砲をすぐに移動できるように地下に横穴を掘っていたのです。 父が宮古島に着いた頃、まだ東シナ海のあたりは日本海軍が支配していたので、船も自由に行き来できるので、食料供給も良かったそうです。でも沖縄がアメリカ軍に占領されると、宮古島への海上の補給路が断たれてしまいます。そうなると備蓄していた食糧を食いつないで戦いを継続していかなくてはなりません。それで、兵士への1日の食べ物の配給量が極端に制限されるようになったそうです。水の上にご飯の粒が僅かに浮いているような食事をしながら、毎日、腹を空かせて、穴掘りに励んだそうです。幸運にも宮古島そのものは、激しい攻撃を受けなかったのですが、米軍のグラマン機が、沖縄と台湾の間を行ったり来たりする途中で、時折、機銃掃射をしたり、余った爆弾を落としていったといいます。 大部分の兵士は生きて帰ってくることができたのですが、中には病気にかかったり、栄養失調で亡くなった方もいたそうです。そうなると、亡くなった兵士の遺体を焼いて埋葬しなくてはなりません。 当時、人を野焼きすることを「オンボ焼き」と呼んでいたそうですが、薪を組んで、その上に棺桶を置いて、一昼夜かけて人を焼くわけです。人を焼くといっても、経験がなければ簡単に焼けるものでもありません。父親は、兵隊に出る前、鹿追の瓜幕の奥、夫婦山のすぐ麓で農業をやっていて、当時、人が亡くなるとオンボ焼きの手伝いをしたそうです。そういう経験があることから、宮古島では兵士が亡くなった時、遺体を焼く仕事をさせられたそうです。 ここまでが、私が父親から聞いていた体験談の概要です。 これを短編小説に仕上げられないかと考えました。 色々と考えていて、兵士たちの「飢餓感・空腹感」といったものをテーマに据えていくと、面白く話を展開できるのではないかと思いつきました。 沖縄陥落後の宮古島、兵隊は、少ない食料で、腹を空かせたまま、来る日も来る日も、島の地下にもぐって横穴を掘り続けている。そんなある日、仲間の兵隊が亡くなって、オンボ焼きをする。腹をめいっぱい空かせ、飢餓感に苦しめられている兵士たちです。そんな兵士たちが、遺体といえども、人の肉を焼いているのですから、もしかすると、目の前で焼いている人肉を、食いたいと思うかもしれません。(これは、小説を書く上での、私の想像力が描いている仮定の世界のことです) そんな切り口で小説を書くことはできないかと考え、具体的に登場人物を動かしながら、物語を頭の中で思いめぐらせていきました。 もう、こういう段階になってくると、すでに父親の経験談から切り離されて、自分の小説の世界に完全に入り込んでいますす。  登場人物は、主人公の兵士・章太郎。ほかに登場人物は数名の兵隊。主人公と他人との関係性が物語り作りと大きくかかわる作品ではないので、まあ必要に応じて登場させればよいかなと安易に考えました。 物語の最初は、米国のグラマン機の空襲を受ける場面から始める。日本の兵隊が空腹に苦しめられている状況を描写し、栄養失調で兵士がなくなって、主人公がオンボ焼きの班長に任命され、仲間と一緒にマキを集め、それを組んで遺体を焼き上げるまでの、おおむね一昼夜程度の話にまとめる。16枚だと、ちょうどこれくらいの話で進められるだろうとイメージしました。 テーマは、先ほども言いましたが、兵士の空腹感・飢餓感です。その惨めさ、悲惨さをリアルに浮き彫りにしていく。 これくらいまで構想が固まり、小説の物語世界が見えてくると、いよいよパソコン画面に向かって文字を打ち込み始めます。 ただし、史実と食い違ってることを書いてもまずいので、多少は、当時のことを調べてみたりもしました。戦争中の宮古島の状況だとか、グラマン機って、どんな機体をしていたんだろうかとか、まあそんなことをざっと調べてみたりしました。長い小説を書くとなると、きちんと資料にあたって、当時の兵士の階級だとか、服装や装備のことだとか、どんなふうに横穴を作っていたんだろうかとか、細かなことまで調べる必要もありますが、何せ16枚という短編小説ですので、それほど詳しく資料にあたるということはしませんでした。 それでは、今まで話した内容が、実際には、どういう作品に仕上がっっていったのか読んでみましょう。 (ここで「人を焼く」を配布して、読む)
 さて、読んでいただいて、どのような感想を持たれましたでしょうか。 読んでいただいてお分かりの通り、これは戦争の持っている理不尽さだとか残酷さだとか、人が人としての理性を失ってしまう、などといった高尚なテーマは設定していません。 主人公となる兵士の飢餓感を増幅するために、わざと古参兵が「お袋が作ったボタモチが喰いてえ」なんてセリフを呟やかせて、主人公の男が、頭の中でボタモチをイメージし、口の中に唾液が溜まってくるなんていう場面も意図的に書いています。 ただし、空腹のあまり、亡くなった兵士の人肉を食べてしまうといった状況まで持って行ってしまうと、あまりに凄惨で深刻で重苦しい小説になってしまうので、人肉を食べたのは、実は夢だったというあたりで上手くごまかしました。 それから、最初に空襲警報があって焚き火を消してから、横穴に避難する場面があります。それは、後半、人を焼いてる時に空襲警報が鳴り、オンボ焼きの火を消すべきかどうか躊躇するという場面の伏線として使っています。 また、グラマン機に襲われて、オンボ焼きをしている兵士たちが、命からがら逃げ惑う場面は、物語に緊張感を持たせるために、ちょっとした盛り上げ場面として設定しました。こういう場面も入れておかないと、単調で淡々とした物語展開になってしまいます。 そういう淡々とした小説が好きだという方もいらっしゃるでしょうが、私自身は、山あり谷ありの緩急をつけた小説の方が好みです。 最後のクライマックスは、死んでしまってオンボ焼きされた筈の兵士が現れて、焼かれた肉を食べている章太郎に向かって、おまえが食っている肉は、俺の体の肉だと喋り、その途端、章太郎がはっと夢から覚めるところです。このエンディングの場面は、小説を書き始めた最初から、頭の中に鮮明に浮かんでいました。 本末転倒な言い方をすれば、このエンディングの場面に向かって、どのように登場人物たちを動かしていくか、というふうに小説を書いていったと言い換えてもいいくらいです。私の場合、物語の最初の場面が浮かび、次にエンディングの場面が浮かんできて、その間をつなげるように物語を作っていくということも、実はよくあるパターンです。 タイトルについてですが、「オンボ焼き」という言葉も考えました。「オンボ焼き」って何だろうって、興味をもって読み始めてくれるかもしれません。 でも、「人を焼く」というタイトルの方が、インパクトがあると考えました。「センベイを焼く」とか「オムレツを焼く」というフレーズは当たり前でインパクトも何もありませんが、「人を焼く」という言葉は強烈な印象を与えます。それでいて、物語の内容を端的に象徴しています。  それから文体についても軽く触れておきます。私は小説のテーマに応じて文体を自在に変えられるような器用な人間ではありません。でも、多少はテーマにふさわしい文体というものを意識はしています。最初の「ヒョー・ヘー・ヒョク」は喜劇ですから、セリフだけでなく、地の文も、できるだけ口語調の、軽いタッチで書くように心がけました。 この「人を焼く」は、舞台設定は太平洋戦争の戦場ですし、飢餓感に苛まれる兵士たちという悲惨な状況を踏まえて、シリアスな文体を心がけました。 そんな風にして、小説のテーマにふさわしい文体を探し出していくという作業も、小説を書く場合の書き手の課題のひとつですし、また小説を書く上での醍醐味のひとつなのかもしれません。。 実は現在、100枚くらいの構想で小説に取りかかっているのですが、書き始めは文体が定まらなくて、思ったように書き進められずにいました。書いていても全然楽しくなかった。それで、今まで書き終わった部分の文体を、色々と書き直していく過程で、ふとある瞬間、この文体であれば、なんとか主人公を動かして、小説を最後の場面まで書き進めていけそうだという気持ちになれた。  文体というのは、小説を書く上で、実はそれくらい重要な要素なんですね。


 最後に、市民文藝や、文学界といった一般の文芸誌で募集している80枚~100枚程度の作品を書くときの、基本的な書き進め方について、簡単にお話をさせていただきます。(ただし、これは、あくまで五嶋の場合ということでご理解ください) まず、最初に全体的な物語のイメージを立てます。主人公がどういう人物で、彼が(彼女が)、どういう人と、どういう関わりを持ち、どういう経験を経ることで、どういった感情やら気持ちを味わい、最後にこういう結末にいたる、というざっくりとした物語の全体像です。私の場合は、これくらいの段階は、頭の中で漠然と考えてることが多いですが、もちろんメモ書きにしてみるのもいいでしょう。 ただし、この段階で消えていく物語というのはたくさんあります。10個思いついたうちの、7つか8つくらいは、そのまま消えていってしまいます。 その物語に、止むに止まれぬ興味というか、心に引っかかるものが感じられないと、私の場合、頭の中から、そのまま消えていってしまいます。でも、それはそれでいいんです。消えるべき物語だったんです。でも、何日たっても消えない物語というのが、時々現れます。1週間たっても、2週間たっても消えない場合は、この物語は、なにかあるなと感じ始めます。 で、書いてみようかなと心に決めてから、頭の中で物語の構想というものを、色々と練っていきます。 それで、大枠の物語ができあがってきたら、私の場合は、それを、5つから6つくらいの章立てにしながら物語の構成を立てていきます。一つの章には一つの場面といった割り振り方をします。分量的には一つの章に原稿用紙で10枚から20枚程度の中身とします。たとえば、最初の章では、主人公の男の子が路上で女の子と出会う場面、2つめの章で、その女の子が転校生として、彼の学級にやってくる場面。3つめの章では、たまたま学校の帰り道その女の子と一緒になって、彼女を家まで送っていく場面、4つめは、彼女を本格的にデートに誘うために、自分の部屋であれこれと作戦を練る場面、・・・といったふうに、物語の進行に合わせて、場面を章毎に割り振っていきます。 このときには、さすがに私も、ノートにメモ書きをします。 それができあがったら、後はもう書き始めていきます。 書き始めたら、集中力と、持続力です。もうそれしかありません。1日に原稿用紙でせいぜい2枚、3枚。前日に書いたものを書き直し、その続きの場面を書き進めていく。それを、くる日もくる日も、ひたすら繰り返して、主人公の行動を地道に丁寧に辿っていくのです。 中編小説が短編小説と最も異なる点は、描写の密度が濃密で、物語の進行がじっくりと進んでいくという点にあります。一つの場面を描くにしても、その場所の描写、あたりの風景、登場人物たちの服装や、表情、また一人一人の会話のやりとりにあわせて、どのような表情を浮かべたとか、どういう動作を伴ったとか、また相手の言葉を聞いて、どういった気持ちになったかだとか、そういったことを一つ一つ、丁寧にすくい取って描きます。そうやって一つ一つの場面といったものを、じっくりじっくりと書き込んでいく。 そうやって一つの章を仕上げ、また次の章に進む、というように、丁寧に時間をかけて書き進めていくのが中編小説です。 一つ一つの場面(章)の中においても、物語に緩急をつけて、山や谷をを作るように意識する必要があります。もちろん、物語全体を通じて起承転結を考え、途中に谷となる章をどれにするか、後半に山となって盛り上がっていく章をどれにするかも、考えなくてはなりません。 一つの作品を仕上げるのに、2ヶ月、3ヶ月くらいかけるつもりで、じっくりと取り組まなくては、中編小説は書けません。 先ほども話しましたが、私も今現在、100枚くらいの作品の今年中の完成を目指して、じっくりじっくりと進んでいるところです。 短編小説は、物語の構想さえ固まれば100m走のように一気に駆けていくことができますが、中編小説は、43.195キロのフルマラソンのように、一歩一歩じっくりじっくりと走っていかなければなりません。そういった気構えで、長い作品にも取り組んでいただきたいと思います。 そんなふうに苦労して、ようやく100枚の小説が完成したときの達成感というのは、短編小説の時とはまたひと味違う、心の底から湧いてくるような深い喜びを味わうことができるはずです。ぜひとも中編小説や、長編小説にもチャレンジしてみてください。  以上で、私の話を終わります。