手のひらを太陽に

「パンパカパーン! 今週のニュース、ベスト・スリー!」
 僕はテーブルの前に立って、歌謡番組の司会者をまねた大げさなイントネーションで声を張りあげた。
 妻の美子は、テーブルを挟んだイスに座り、陰鬱な表情で僕を見ている。
  この一週間ほど、美子はずっと鬱状態が続いている。
 病棟の休憩室内にいる他の入院患者たちが、不思議そうな顔をして僕を見つめている。
「まずは、第三位! タカシが自転車でコケて、右肘の皮をベロッとむいちゃいました!」
 タカシは、今年、中学生にあがったばかりの僕らの息子だ。勉強はちっともしないで、部活のサッカーに明け暮れている。
 美子の表情に変化が現れた。
「……自転車で……?」
「そう。……スピードを出したまま十字路に飛び出してったんだ。そしたら横から来た車に接触しそうになって、あわてて急ブレーキをかけたら、自転車ごと前のめりに回転したって話だよ」
 妻の顔に、わずかに動揺の色がよぎる。
「それじゃあ第二位。ユカが、英語のテストで、クラス・トップの点数を取りました!」
 高二のユカは、将来、美術の教師になりたいとか言っている。美術部に入って毎日油絵ばかり描いているが、彼女なりにコツコツと勉強もしてるのだろう。
 妻は、口元だけに消えそうなほど微かな笑みを浮かべる。
 僕は、大げさに手をパチパチと叩いた。
 僕の話をニコニコしながら聞いていた入院患者の何人かが、僕の真似をして手を叩いた。
「はい、それじゃあ、今週の第一位!」と、その時、横から大きな声が響いた。
「今週の一位は浜崎あゆみの『トラウマ』!」
 見ると、入院患者の若い女性が、怒った顔つきで僕を睨んでいる。
「……そ、そう、第一位は、浜崎あゆみの『トラウマ』」
  彼女は、僕の言葉にニコリと嬉しそうな笑みを浮かべた。
 美子は、訳がわからないといった戸惑いの表情で、僕と彼女を交互に眺めている。
 僕は、イスに腰を下ろして、フゥッとため息をついた。それから、妻の方に身を乗り出し、耳元で囁くように言った。
「……第一位はね、生まれて初めて揚げた僕のトンカツが上手くいったってことさ。タカシもユカも褒めてくれたよ。街のトンカツ屋よりも旨いってさ。スゴイだろう!」
 ややしばらくしてから、
「……ウン……」と美子が微笑する。
「でもね、ママの手料理には勝てないよ。だから、早く家に帰ってきてね」
 美子の顔が、ピクリと強ばってから、またもとの無表情に戻る。
 何かマズいことを口走ってしまったようだ。美子の心の病の在りかが、脳天気な僕にはまだよくわかっていない。
「……あのさ、でも、急ぐことはないんだよ。ボチボチ治していけばいいんだ。多少時間がかかることは、みんな覚悟してるからね」
 美子は、能面のような無表情のまま僕を見つめている。
「家族のことは何も心配いらないんだよ。みんな元気にやってるから、ホント」
 美子の気分を盛り上げるために、僕はできるだけ明るい声を装って言う。
 でも、妻の顔に反応は現れない。暗い闇の奧に、美子の心は、再びその姿を隠してしまったかのようだ。

 妻の正式な病名は、双極性障害という。鬱と躁が交互に現れる気分障害だ。百人に一人くらいの割合で現れる身近な病気だという。
  発病したのは、子育てが一段落してスーパーのパートに出るようになって三年ほどが過ぎた頃のことだった。
 ある日、気分がすぐれないからと仕事を休んだのが、鬱状態の最初の兆候だった。
 当初、僕は彼女の状態を、気分的に落ち込んでいる程度に軽く考えていた。でも、症状はどんどん悪い方に進んでいって、一週間もしないうちに、布団から起きあがれなくなってしまった。ようやく起きあがってきても、パジャマ姿のボサボサ頭で、まるで幽霊のようにただボンヤリとうずくまっているだけだった。その異様な姿を見て、あわてて彼女を病院に連れて行った。
 薬を飲んで一時的に状態が落ち着き、ホッと安心した途端、今度は、妻の目つきがギラギラと異様に輝き始めた。
「私には、本当は音楽の才能があるの。だからCDを出せば、ミリオンセラーは間違いないわ」なんて夢のような話を大真面目な顔をして言う。かと思えば、デパートに出かけていってブランド品の高価なバッグを矢継ぎばやに買ってきたりする。
 誇大妄想の症状だった。
  僕は、すぐにお店に出かけていき、何度も頭を下げて返品のお願いをして歩いた。そんな妻の行動を、病気の症状の一つだと医者から説明されても、心の底からは信じられなかった。
 でも、外見は以前と変わっていなくても、言動そのものは、間違いなく別人だった。
 次に僕が苦労したのは、美子に、自分の病気のことを理解させ、入院治療の同意をさせるということだった。
 彼女の病気の症状や、入院治療の必要性についてやさしく話をしている時、妻に何度も「ねえ、私のどこが変なの?」とせっぱ詰まった口調で訊かれた。でも僕は一度として、彼女の納得のいくように説明してやることはできなかった。いや、納得させることが不安だったのかもしれない。
 最後まで入院に同意しなかった妻を、病室に残して出てきた時、僕の心をよぎったのは、これで病気も治るだろうという安堵感だけではなかった。本当に、こんな場所に妻を閉じ込めてしまっていいんだろうかというと疑心暗鬼の気持ちが、いつまでも僕の心に尾を引いていた。

 娘と息子は、妻が発病してから入院する頃まで、ずっと不安に怯えた暗い目つきをしていた。
 壊れ始めた母親に、どのように接してよいのかわからず、かといって母親を病院に入れようとしている父親も信じられない。そんな態度だった。
 でもあの時の僕に、娘と息子の精神状態を見守ってあげるような心の余裕なんて少しもなかった。僕自身が、自分の不安感や焦燥感をコントロールするだけで精一杯だった。
 翌日に妻を入院させるという夜のことだ。妻が寝静まった後に、居間にいる僕のところに、娘のユカが二階から降りてきた。
「ねえ、どうしてもママを入院させなくちゃならないの?」
 娘は、怒りを湛えた目つきで僕を見つめた。
「ああ」と僕は素っ気なく答える。今さら、この話をぶり返したくはなかった。
「家でも、治療はできるんじゃないの?」
「それは、もう何回も話したろ。僕らのいない昼間に、なにか事故があっても、誰も面倒がみれないじゃないか。それに、ここまで症状がひどくなってきたんじゃ、早く入院して、きちんと治療を受けさせないと、一生病気が治らないかもしれないだろう」
「でも、ママは、自分から入院して病気を治したいって言ってないんでしょ?」
「この病気にかかった人間は、病気のせいで、自分から入院したいって言わなくなることがあるんだ。だから、周りの人間が、治療や入院のことを判断してあげなくちゃならない」
「そんなの、パパの勝手な意見じゃないの」
「そんなことはない!」
「いや、そうよ!」
「医者だって、一度入院させて、ちゃんと治療を受けさせた方がいいって言ってるんだ」
「パパが、そんなふうに病院の先生に話を持っていってるんじゃないの?」
「うるさい! 親の決めたことに、いちいち文句を言うな!もう決まったことなんだ!」
 たまらなくなって、僕は怒鳴り声を上げた。
 娘は、僕の大声に驚いて黙り込むと、目に涙を一杯ためたまま二階に駆け上がっていった。
『バカ娘が!』と口の中で罵りながらも、自分の切ない気持ちを、娘だけには分かってもらいたかったと、ひどく落ち込んでしまった。
 
 入院後、担当の中年の医者に、とにかく薬でもなんでも飲ませて、妻の病気を完全に治してほしいと頼みこんだ。
 医者は僕をきつい目でギッと睨むと、
「そんな安易な気持ちで、奥さんの病気を受け止めてもらっちゃ困るんだ」と強い口調で話し始めた。 
「盲腸だとか骨折みたいな外科的な病気とは違うんだ。切ったり縫ったりで治せる病気じゃない。いわば奥さんの心そのものが、病に陥ってるんだ。投薬ですぐに治せるかもしれないし、これから一生涯つきあって行かなちゃならないのかもしれない。それは治療してみないとわからない。たとえ、どっちであろうとも、旦那さんであるあなたが、奥さんの病気をきちんと受けとめて、この先ずっと支えていってあげなくちゃならない。そういう覚悟をきちんとして貰わなくちゃ、奥さんとも、奥さんの病気とも、これからつきあっていけないよ。わかるかい?」
 医者に、妻をすっかり押しつけて、逃げ腰になっている自分の本心を見透かされてしまったようで、僕は、それ以上何も言うことができなかった。

 毎日、病院に寄って家に帰ってきてから、僕はすぐに夕飯の支度に取りかかる。 
「おい! 洗濯物ぐらい、自分で洗濯機に入れておけよ!」
 部活から帰ってきて部屋にいる息子のタカシに向かって、僕は大声で怒鳴りつける。
「ハーイ!」と、返事だけは優等生だ。
 今日の夕食は二日前に作った煮物とサンマの塩焼き。並行して、明日から食べられるようにとカレーの下準備にも入っている。
 間もなく娘のユカが高校から帰ってきたところで夕食になる。食べてる間に、洗濯機を回すことも忘れない。
 後片づけは娘の仕事だ。妻が入院してからは、文句一つ言わずにやってくれる。
 僕は、息子と娘に、学校からの文書があったらすぐに出せと命ずる。そして学級通信を眺めたりしながら、二人と学校生活のことを話したりする。息子も娘も、毎日、学校で様々なトラブルやら事件に出会ってることがよくわかる。友達の悪口、クラスメートとの葛藤、教師の噂、勉強への苛立ちと話題は尽きない。
 その夜のユカの話題は、近づく学校祭に向けて、クラスの男子生徒が盛り上がらないということだった。「ほんと、チョーむかつくわ。やる気のない男子を見てたら、蹴飛ばしたくなっちゃうわ!」と、まあそんな調子だ。
 洗濯物を干し終わってから、風呂に入り、主夫の一日の仕事は終わる。

「すぐに病院に来て下さい」と看護士から電話がかかってきたのは、真夜中の二時過ぎのことだった。詳しい話は病院でするという。
 電話の呼び出し音で起きてきた娘のユカに、とにかく家で待ってろと言い置いて、僕は病院へ車を飛ばした。
 夜間用の入り口から入って行くと、担当の看護士が、すでに僕を待っていた。
「奥さんが、ベッドの頭のフックにシーツを縛りつけて、首を吊ろうとしたんです……」 看護士が、焦った口調で喋る。
 心の準備はあったが、頭から血の気が引いていくのがわかった。最近、妻の鬱症状がひどくて、医者や看護士にも、大丈夫だろうかと相談していた矢先のことだった。
「それで、今は……?」
「巡回の看護士が、たまたま部屋の前を通りかかって見つけたんです。今、ICUで治療中ですが、大事にはいたっていません……」
 その言葉を聞いて、少しだけ安心した。
 看護士は僕を二階の集中治療室まで案内してくれた。部屋に入っていくと、入り口から三番目のベッドで、美子が点滴や酸素呼吸を受けて眠っていた。
  ベッドの横に立っていた医者が、僕の姿を見ると、すぐに近づいてきた。
「大丈夫なんでしょうか?」
「……ええ、とりあえず呼吸も心臓の方も、今は安定してます」
 僕は、医者に向かって小さく頷いた。
「……ただ、無呼吸状態がどれくらい続いていたか、それによって脳に後遺症が残るかどうかは、意識が回復してみないとわからないんです」
 医者は妻の方を振り返って、ちょっと心配そうな表情を浮かべた。
「……しばらく奥さんの様子を見守ることにしましょう」そう言うと、医者は奧の部屋に入っていった。
 徒労感のような重みが、僕の体にじわりとのしかかってきた。足の力が抜け、立っていられないくらいだった。僕は、ベッドの横の丸イスに腰を下ろした。
 美子の胸がゆっくりと上下する様子をボンヤリと眺める。以前と変わらない色白の横顔。病気になってからは、薬のせいか顔つきがふっくらとしてきている。
 布団の端から出ている左手を、僕は両手でそっと包み込んだ。昔から彼女の手は、ほんのりと温かく、そして微かに湿っている。それは、以前と何も変わってはいない。
 彼女の手を持ち上げて、僕は掌を自分の右頬に押し当てた。彼女の体温が、頬にじかに伝わってきた。
 ふと、記憶の闇から浮き上がってくるメロディがあった。何の歌だっただろうか。少しずつ歌詞を思い出しながら、小さく口ずさんでみた。
   僕らはみんな生きている
  生きているから歌うんだ
  僕らはみんな生きている
   生きているから悲しいんだ
   てのひらを太陽に透かしてみれば……
 その歌と共に、ひとつの場面がおぼろげに僕の脳裏に蘇ってきた。
 あれは確か、娘のユカが幼稚園の年中組か年長組くらいのことだ。娘が大泣きしながら、家に帰ってくることがあった。話を聞くと、仲良しの友達とケンカをしたのだという。
 そのとき、妻の美子は、だまって娘の話を聞いた後、娘の体を強く抱きしめた。それから、この歌を囁くように何度も何度も歌ってあげたのだった。
 間もなく機嫌を直したユカが、まわらない口で、美子の歌声に合わせて、この歌を唄い始めていた。
「泣きたい時はね、この歌を大声出して唄うのよ。そしたら涙なんて、どっかに飛んでっちゃうからね」
 妻の言葉に、ユカが小さく頷いた。
 そのことがあってから、その歌は娘の愛唱歌になった。機嫌のいい時も、悲しいことがあった時も、その歌を口ずさむようになった。
  妻がまだ若くて、美しく、そして元気だった頃の話だ。
 僕は、妻の湿った掌を頬に押し当てたまま、口の中で、繰り返し繰り返し、その歌を唄い続けた。

【十勝毎日新聞 2005年(平成17年)1月23日 掲載】