ライターズ・ノート(短編小説Ⅰ)

★「貝の哀しみ」(標津抒情1)

 さて、この「貝の哀しみ」という小説は、僕の小説人生に、深く関わりのあるものです。

 最初は、東京で雑誌の編集者をしていた頃に書いた小説なのです。実は、それっきり10年以上も本箱の片隅に眠っていたのですが、どういう経緯だったか、久し振りにそれを取り出してきて、少し長めに書き直しました。それが、たまたま「鹿追文芸」という町村文芸誌に掲載されることになりました。

 すると、それを読んだ編集委員のある方から、大変面白かったとお褒めの言葉をいただいたのです。

 それまで、自分の小説を褒めてもらうなんて経験はまったくなかったもので、それを聞いた僕はすっかり有頂天になってしまいました。

 もしかしたら、自分にも小説の才能があるのかもしれない、と少し自惚れた気持ちにもなりました。

 それがきっかけで、「市民文藝」に初投稿した「レフト・アローン」を書き始めたのです。

 編集委員の方のお褒めの言葉がなかったら、今まで小説を書き続けることなんてなかったと思います。

 ところで、この「貝の哀しみ」は、大学卒業後、根室管内の標津町で1年間だけ中学校教員をしていた経験に基づいています。

 いやあ、懐かしいなあ・・・

 ところで、この小説は、その後、続編を書き続け、「遅い春」、「夏の終わりに」、「流氷たちが呻く夜」という、全四部作構成になっています。


★「遅い春」

 すでに書いたとおり、これは「貝の哀しみ」の続編となります。

 中学校の教員となった主人公と、特別支援の生徒との交わりを描いています。(当時は、「特別支援」という言葉がなくて、「特殊学級」と呼んでいたなあ)

 実際に標津中学校で、僕は特別支援の学級を持ち、数学や英語を教えました。

 のっぽで心が優しかった中3のA男だとか、背が小さくて、やたらお喋りだった中1のB子だとか、今でも忘れられません。

 物語の冒頭に描かれる情景(グランドから朦々と水蒸気の煙が舞い上がる様子)も忘れられません。

 あの当時の僕は、これからどんなふうに生きていったらいいのか、まったく分からずにいました。自分にどんな力が備わっているのかもね。自分に全く自信もなかったし。

 これも「鹿追文藝」に掲載されました。


★「ライク・ア・ハリケーン」

これは、勝毎の「郷土作家アンソロジー」初応募、初入選、初掲載された小説です。タイトルの「ライク・ア・ハリケーン」は、もちろん、あのニール・ヤングの名曲のタイトルでもあります。

「嵐のように」激しい気性を持った女性像を描きたかったので、このタイトルを持ってきました。(でも、当時の選考委員の方には、「このタイトルは何がなんだかわからん」と、とっても不評でした・・・笑)

それまで、市民文藝の100枚前後の小説ばかり書いていたせいで、16枚という感覚が分からず、ずいぶんと苦労しました。読み返しても、16枚にしては内容が盛りだくさんすぎる。この物語だったら、せめて30枚か40枚くらいはほしい。そう思います。

ところで、最後に主人公の男と別れる場面で、女性が泊まっていったらと誘う場面があります。読み返して、この女性には、決してそういう誘いはしてほしくない、と強く思いました。今、こんな小説を書くのならば、決して女性から誘いません。そうすると、その女性の値打ちが下がっちゃいますからね。いや、ホント。

 

 

★「せんこう花火」

 これは、僕が「郷土作家アンソロジー」に応募するために書いた2作目の小説です。

 この小説も、僕の高校時代の体験をベースにしてますが、やはりモチーフのボリュームがありすぎました。16枚にしては盛りだくさんの内容です。(このモチーフだったら、60枚か70枚くらいの小説が、優に書けたと思います。でも、それは後になって気づいたことです)

 僕の卒業した高校では、Aブロック、Bブロックというように学年の縦割りで演劇を発表することになっていて、高校3年の時に、僕が劇の脚本を書くことになりました。(最初に書き上げた脚本は、真面目そのものの堅苦しい恋愛モノで、仲間の一人が、楽しいセリフを入れたりして、くだけた内容に直してくれました)

 その時の劇のタイトルが、「せんこう花火」でした。

 この「せんこう花火」は、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍されていた吉田拓郎さんの曲から頂戴しました。(実際に、劇のエンディングで、この「せんこう花火」という曲が流れるという構成でした。)

 ところで、小説にも書きましたが、なんと出演者同士の(特に女子生徒間の)葛藤が起こってしまって、劇は上演直前に空中分解してしまったのです。(あの時は焦りました。だって、出演者の女の子が、女子トイレにこもって、出てこないんだもの・・・)

 いやあ、僕もみんなも、まだ若かったなあ。(それとも「幼かった」と言うべきでしょうか?)

 

★「夏の終わりに」

 「貝の哀しみ」、「遅い春」の続編となります。

 根室市内から転校してきた中2の女の子がいました。ひと言で言うと「非行少女」でした。家庭の事情などもあって、生活が荒れていたようです。

 僕自身は、あまり深い関わりがありませんでしたが、2ヶ月ほどでまた、元の学校に戻って行っちゃいました。

 

 

★「白いTシャツ」

 この小説は、実は僕の体験に基づいています。

 修学旅行先で、特別支援の男の子が、突然行方不明になってしまったのです。それも、一瞬の隙に・・・

 あちこち探したのですが、見あたりません。焦りました!で、駅と地下街をつなぐ改札口に吸い込まれていく人たちを見ていて、ここから入っていったのではないかと推測しました。

 小説中では、男子生徒は、列車の中まで乗り込んで行ってることになってますが、実際は、ホームのベンチに座っていました。

 彼を見つけた時、正直ほっとしました。

 ちなみに、この小説を「郷土作家アンソロジー」に応募したとき、この作品を唯一褒めてくださったのは、今は亡き「三宅太郎」さんでした。

 そういう方の励ましの言葉があったからこそ、今でもまだ、なんとか小説を書いていられるんですよね、たぶん。

 

★「ヒョー・ヘー・ヒョク」

 それまで真面目で、シリアスで、堅苦しい物語しか書けなかった自分が、思い切って殻を脱いだのが、この作品です。

そういった意味で、転換点をなす重要な作品でもあります。

 じつは僕は、これまでに2回も腸閉塞で開腹手術を受けています。1度目は27歳の時で、2度目は42歳の時のことです。この「ヒョー・ヘー・ヒョク」は、2度目の腸閉塞を題材に書いてます。

 腸閉塞になると、七転八倒の激痛に襲われます。腸が捻れて完全に詰まってしまうのですから、その痛みや苦しみは想像を絶するほどです。また、腸が行き止まりになるので、胃の中の食物や、胃液などが、口から逆流してきます。

 腸閉塞を1週間くらい放置しておくと、そのまま死んでしまいます。ですから、手遅れにならないうちに手術をしなければなりません。

 ところで、この小説の中では、主人公の妻が、かなり冷たくて、そっけない人物に描かれてます。ただそれは、お話を面白おかしくするためであって、けっして僕の妻が、冷たくて、そっけない女だなんて思ってるわけではありません。(これは、本当の本音ですよ・・・ねえ、僕の奥さん!!)

 

★「北岳山頂にて」

 登山をやったことのある人ならご存知かと思いますが、「北岳」というのは、富士山に次ぐ日本で2番目の高峰なんです。

 僕は、この北岳に大学1年生の時に登ってます。実は、大学1年生の時、ワンダーフォーゲル部に所属してたんです。真夏の一番暑い頃でしたが、頂上付近は朝晩、ヤッケでも着ないと寒いくらい気温が下がります。もちろん雪渓だって残ってました。

 一緒に登ったパーティに想いを寄せてた女の子がいて、彼女のことは今でも時折思い出します。(大学4年間、ずっと片想いの相手でした・・・笑)

 ところで、北岳に登ったとき、この小説と同じように、台風の直撃を受けてしまいました。まあ、直撃といっても、進路が多少ずれてくれたので、激しい嵐に襲われるというところまではいかなかったのですが、2日間ほど、頂上で身動きがとれない状況に陥ってしまいました。

 この小説は、そのときのことを思い出しながら、物語を作ってみました。

 いったん書き上げたのですが、気に入らなくて、全く最初から書き直して発表しました。

 でも、やっぱり、どこかひっかかりの残っている小説です。こういう話って、作るのが難しいですね。

 

 

★「バック・オーライ」

 これは、多少実体験の要素を含んだ小説です。

 新車を買ったばかりで、まだオートマチック車のギアチェンジに慣れていない時に、コンビニの駐車場で、バックしてきた車に、僕の新車をぶつけられてしまいました。

 相手の車が接近してきた時、慣れ親しんだマニュアル車でしたら、とっさにギアを入れ替えて、脱出できたと思うのですが、慣れてないオートマ車では、とっさの操作ができませんでした。

 それにしても、車がぶつかり、察官を呼び出して、あっちが悪い、こっちが悪いと言い合うのは、あんまり楽しい話し合いではありませんね。いや、ホント。



★「グスコーブ鳥の休日」

 我が家の子供たちがまだ小さかった頃、家族で霧多布海岸の方へ車で旅行に出かけたことがあります。そのとき泊まった民宿で、たまたま全国巡業をしている児童劇団の方たちと一緒になる機会がありました。「劇団たんぽぽ」とか、そんな名前の劇団だったと思います。

 その方たちの話を聞いていて、全国を巡業して回る生活って、とっても大変なんだなあと、しみじみと実感しちゃいました。

 彼らの生活のことを、なんとか小説にできないものかと頭を捻って作り出したのが、この作品です。

 どんな世界であれ、自分の夢を追い続けるって大変なことです。特に、家族を抱える年齢になると、夢だとか信念だけでは、そうそう容易く生活していけませんからね・・・

 僕なりに、彼らへの応援歌のつもりで、この小説を書きました。(ぜんぜん応援歌にはなってないかもしれませんが・・・笑)