幸せな家庭

 玄関ブザーのボタンを二回、ゆっくりと押した。
 深く息を吐きながら、私は、じっと玄関ドアの表面を見つめる。ドアの奥から人の動く気配は何も伝わってこない。
 四度目か、五度目の息をついてから、私はもう一度ボタンを長く押した。
 しばらく待ったが、やはり何の応答もない。仕方がなく、私は、あらかじめ用意しておいた合カギをズボンのポケットから取り出し、鍵穴に挿して、ゆっくりと回した。
 ガチャリと、いつになく重い音を立てて、カギが開く。
 ドアを手前に引いた途端、得体の知れない腐臭が漂ってきた。何か、動物の死骸でも腐ってるような異様な腐臭だ。
 喉元にこみ上げてくる嘔吐感を無理に飲み込み、私は、靴やサンダルが乱雑に散らかっている玄関の中に恐る恐る足を踏み入れた。
「おうい、……誰かいないのか?」
 薄暗い屋内からは、何の物音も聞こえない。誰もいないのか、あるいは……。
 私は、靴を脱ぎ、玄関から続いているリビングルームに入っていった。
 腐臭が、さらに強くなる。私は、あたりをゆっくりと見回した。観葉植物の鉢が倒れ、新聞や雑誌、衣類などがあたりかまわず散乱している。見回していた私の視線が、一点に釘付けになる。
 隣接するキッチンの床に、人形のようにほっそりとした両足が、やや開き気味に横たわっていた。
 グラリと床が揺れ動くほどの目眩を覚える。私は、ゆっくりと息を吐き出しながら、倒れ込みそうになるのにじっと耐えた。
 気分が落ち着いてくるのを待って、私は両足の横たわってる場所に恐る恐る近づいていった。鼻を突く腐臭がさらに濃くなる。
 うつぶせの格好で、息子の嫁の香織が、顔を反対側に向けて横たわっていた。頭から肩のあたりにかけてドス黒く乾いた血の跡がこびりついている。
 一メートルほど離れたところに、運動用の金属ダンベルが転がっていた。片側半分が赤黒い血の跡にベットリと覆われている。
 後ずさりしてその場を離れようとしたが、膝がガクガクと震えて、立っているのがようやくだった。
 必死の思いで、玄関横の、二階に昇る階段口までなんとかたどり着いた。
 背中が、冷たい汗でベットリと濡れていた。何度も胸の奥へ空気を送り込む。
 しばらくの間、二階へと通じる薄闇をぼんやりと眺めていた。
「おうい、誰かいるのか?」
 まるで自分の声とは思えない、掠れた声が狭い階段に微かに響いた。
 何の物音も返事も聞こえない。心を決めて、私は一段一段と確認をするように、階段をのぼっていった。
  二階まで上がると、夫婦用の寝室のドアが半開きになっているのが見えた。私は、そのドアを押して部屋の中に足を踏み入れた。
 ダブルベッドを覆う掛布団が、人の形に盛り上がっている。
「マサトシ、お前なのか……?」と声をかけたが、布団の中からは何の反応もない。
 私はベッドに近づき、その端にゆっくりと腰を下ろした。
 布団の端から、息子の頭髪の一部が見えた。
「……さっき、学校の教頭先生から俺の家に電話があったんだ。この三日間、何の連絡もなく休んでるから心配してるという話だった。この家にも、二回ほど様子を見に来たんだけど、ブザーを押しても、誰も出てこないし、どうしたんだろうかって……」
 そこまで話してから、息子の様子をうかがった。奴は、身動き一つしない。
「あれか?また病気が、ぶり返してきたのか?……そうだったら、また病院にかかればよかったじゃないか……」
 話しながら、息子の反応を伺う。でも、まだ何の動きも見られない。
「……なにも、香織ちゃんに、あんなむごいこと、しなくてもよかったのに……お前のこと、ずっと心配して面倒見ててくれただろう。そうじゃないのか……?」
 布団の盛り上がりがゴソゴソと動く。しばらくして、布団の奥から、くぐもった声が聞こえてきた。
「も、もう、オ、オ、オレの面倒みるの、イ、イヤだと言いやがった。……こ、これ以上、オ、オ、オレと一緒に生活してくの、む、無理だって……」
「ずうっと、お前の世話をしてきて、きっと疲れちゃったんだよ。お前のために、神経をすり減らしてずっと頑張ってきたからな……だから、ちょっと、この家を離れて心を休めたくなったんじゃないのか?」
「……オ、オ、オレが、こ、こんなに苦しんでるのに、オ、オレ一人を置いて、い、家を出て行くって言いやがった。ア、ア、アイツが、こ、こんなに冷たい女だなんて、お、思ってもいなかった。だ、だから……」
 そこまで言って、息子は布団の中で黙り込んだ。
 胸の奥から深いため息が洩れてきた。
 つい二年ほど前まで、私たちは、どこにでもあるような、ごくごく普通の「幸せな家庭」だった。私たち夫婦も息子夫婦もみんな健康で、仕事の方も順調だった。私は、このありふれた幸せがずっと続くものだと信じて疑わなかった。
 それが、妻の交通事故死をきっかけに、全てがあっけなく崩れ落ちていった。

 息子のマサトシは、小さな頃から快活で元気がよく、何につけ体を動かすことが大好きな子どもだったのだ。小学校五年生の時に野球を始め、中学校時代、高校時代には野球部のキャプテンもやったくらいだ。
 高校を卒業してから道内の教育大学に進み、四年後には、地元の中学校に帰ってきて体育の教師として働き始めた。
 我が家は、私の父の代から続いてる教員一家だった。私自身、理科の教師として身を立ててきた。三代目となるマサトシまでが同じ道に進んでくれたことを、私は心底嬉しく、また名誉にも感じていた。
 息子の最初の給料日に、ホテルのレストランで食事をご馳走してもらったときには、親としての満足感を存分に味わわせてもらった。他の誰かに自慢したことはないが、私は父親として、息子の成長を心から誇らしく思っていた。それが正直な気持ちだ。
 教師として社会人のスタートを切ってからも、息子の人生は順風満帆だった。
 担当した野球部の指導では、管内大会で二度ほど優勝し、全道大会にも出場することができた。
 教科指導や学級経営でも力を付けてきたようで、保護者にも信頼されてる立派な先生だと、知り合いの教師からも聞かされた。不登校の子どもや、非行問題を起こす子どもに対しても、熱心に指導してるという話も聞いた。
 話の半分はお世辞だとしても、息子の良い評判をきくのは、親として嬉しいものだ。
 息子は、教員になって五年ほどして、同じ学校に勤める女性と家庭を持つことになった。見た目にも可愛らしく、細かいことによく気がつく、本当に良くできた嫁だった。
 私の妻とも気があったし、嫁のことで、何か不満めいたことを感じたことは一度もない。ただ一つ、「幸せな家庭」という点から考えて唯一の難点と言えば、息子夫婦に子宝が恵まれなかったことくらいだろう。
 ただし、孫のことを私はそれほど気にしてたわけではない。もう我が家は、もう充分に幸せな家庭だったし、これ以上の幸せを望むべくもないと心底考えていたからだ。
 そんな会話を、私たち夫婦の間で交わしていた矢先のことだった。
 妻が、突然、交通事故にあって逝ってしまった。農道の交差点で、相手の車が一時停止を無視して突っ込んできたのが原因だった。
 あの時は、正直落ち込んだ。強い脱力感に取り憑かれて、三ヶ月ほど家から出ることもできないくらいだった。
 半年ほど過ぎて、ようやく妻の死が受け入れられる心境になってきた頃、今度は、息子が学校に出勤できなくなった。
 嫁の香織の話によると、そもそものきっかけは、息子の生徒指導に不満を抱いたある母親が、教育委員会に文句をつけたことだった。その後、他の母親連中からも同じような声が湧き上がり、息子と学級の保護者との関係が、すっかり壊れてしまった。
 そんな状況が続くうちに、息子の心が徐々におかしくなっていった。やる気がうせ、夜も眠られなくなり、病院に行ってみると、医者から「うつ病」だと診断されたという。
 当初は、薬を飲みながら、なんとか学校に顔を出していたようだが、やがてある朝ベッドから出られなくなった。
 校長や教育委員会、医者などと相談した結果、半年ほど学校を休むことになった。
 あんなに快活で、行動的で、教師としての責任感や指導力も評価されていた息子が、指導に自信を失って、「うつ病」になるなんて、最初は信じられなかった。
 ほんの一時的なことだろうと軽く考えていたが、実際には、そんな安易なものではなかった。
 息子に対して、病気のことを根掘り葉掘り尋ねたり、「頑張れ」というような話をしないでくれと、香織から強く釘を刺された。とにかく、こういう病気は、気長に本人の心の回復を見守っていくしかないらしい。
 暇があれば息子夫婦の家を訪れた。でも、息子の表情は、いつも自信なさげで、何かに怯えているようだった。私と話しながらも、妻の香織が立ち動く姿を、縋るような視線でどこまでも追っていた。
 「幸せ」などという代物は、砂上の楼閣のように儚く、もろいものだ。そんなものは、いつ何時、あっけなく壊れてしまうかわからない。それが、明日をも分からない人の世の中というものだ。
 そんな、どこかで聞いたことのあるセリフが、頭の隅から離れなかった。
 その通りかもしれないと思いながらも、なんとかして「幸せな家庭」の崩壊を食い止める術はないかと必死にあがいている自分がいた。
 こんな程度の災厄くらい、どこの家庭にでも、ごく普通に起こることだ。まだまだ「幸せ」を取り戻すチャンスなんて、いくらでも残っている筈だ。
 そうやって自分を励ました。
 幸いなことに、息子は半年間の休職を経て、無事に学校に復帰することができた。
 それが、今から二ヶ月ほど前のことだった。

「そんなふうに頭から布団を被っていても、どうしようもないだろう……これから、どうするつもりなんだ?……」
 相変わらず息子の反応はない。
 布団の端をぼんやりと眺めながら、どれくらいベッドの端に座っていただろうか。二十分か三十分くらいかもしれない。
 私は、意を決してベッドから立ち上がった。
 この現実を受け入れるしかないのだ、と私は自身に語りかけた。とうとう我が家は「幸せな家庭」から、完全に見放されてしまったのだ。その事実を、もう認めるしかない。そして、我が家で起きたこの事態の後始末を、我が家が責任をもって行わなくてはならないのだ。逃げ道はない。あとは決断し、実行するだけだ。
 私は、心を決め、寝室を出て、階段を下り、玄関のドアから外に出た。そして、家の東側にある物置に入っていった。
 棚のあちこちを探してみたが、欲しいものはすぐには見つからなかった。キャンプ用品の袋の中に、ようやく適当な太さと長さのロープを見つけた。
 私は、ロープを片手に持って、二階の寝室に戻った。
「いいか、マサトシ、よく聞くんだ。いくら心の病とは言え、自分の妻を殴り殺しておいて、何の罪もないなんてことはあり得ない。こうことには必ず罰が下りるんだ。
 我が家は、お前で三代も続く教員一家だ。そういう家庭から人殺しが出たとなっては、もう二度と世間に顔向けはできない。我が家はこれでおしまいだ。だったら自分たちで、この始末をつけなくてはならない。
 ほら、ここに物置からロープを持ってきた。お前は、これで首をくくって死ぬんだ。自分の妻を殴り殺した罪を償うために、自分で首を吊って死ぬんだ」
 布団の山が、ゴソゴソと小さく動いた。でも、息子が布団から起き上がる気配はない。
 私は、思い切って掛け布団を剥がした。
 息子が、海老の形に体を丸めている。香織を殴り殺した時の返り血なのか、衣服のあちこちに赤黒い染みが広がっていた。
「ほら、起きろ。そして、これで首を吊るんだ!」
 息子は、怯えるような目を開けて私を見上げた。
「ま、まだ……し、しに、死にたくないよ」
「バカ野郎!自分が、いったい何をしたと思ってるんだ!」
 カッとした私は、気がつくと、息子の横顔を、右の拳で思い切り殴りつけていた。
 殴られた息子は、驚いた表情を浮かべて私を見つめてから、ポロポロと大粒の涙を流して泣きはじめた。
 マサトシの泣き顔を見てると、息子が哀れで、こちらまでが惨めになってきた。
 私は、しばらく息子が泣くのに任せておいた。
「さあ、立って、下におりるぞ。……たしか脱衣場に、ロープを引っかけられるフックがあった筈だ。お前は、あすこで首を吊って死ぬんだ。いいな!」
 マサトシの腕をつかんで起こそうとした「い、いやだ! 死にたくない!」と息子が、激しく暴れて抵抗する。
 何度か試したが、ベッドから息子を起こすことはできなかった。
 この場所で息子の首を絞め殺してから、脱衣場まで引きずっていき、あすこに吊し上げるか?
 いや、マサトシに抵抗されたら、首を絞めるなんてとうてい無理だ。息子の方が力が強いのだから。
 しばらく、ベッドの上の息子の惨めな姿を、無念な思いで眺めていた。
 私は、ロープを持ったまま、階下におりた。
 脱衣場に入っていって、ロープをフックの先に縛りつけた。
 輪を作って、自分自身がぶら下がるのにちょうどいい高さに調節した。
 首を吊って死ぬというのは苦しいんだろうか?気を失うまでに、どれくらい時間がかかるんだろう?一分くらいか、二分くらいか?それとも、もっとかかるんだろうか?
 私は、次にダイニングまで行き、香織の遺体の近くに転がっている金属製ダンベルを拾い上げた。
 右腕に、ずしりと重みがかかる。
 頭のどの部分を殴れば、少しでも苦しみを感じさせずに、一気に殺せるんだろうか?
 そんなことを考えながら、私は右手にダンベルを握りしめ、リビングルームを出て、階段を一歩ずつ登っていった。