償い

 カギ先を、ゆっくりと挿し込む。それから静かにカギ穴をまわす。ドアノブを掴み、音を立てないようにドアを引く。
 不意に、蝶番が、ギィィと鳴いた。その音が、真夜中の静まりかえった住宅街に大きく響き渡る。
 瞬間、恐怖心が私の心臓をビリビリと駆け抜けた。
 息もできず、しばらくじっとしていた。
 あたりに静寂が戻ってきたのを確認してから、私はそっと玄関に入り、ドアを閉める。
 アパートの室内は、真っ暗闇だ。その暗闇の底で、じっと息をひそめて立ちつくす。
 すこしずつ暗闇に目が慣れてきて、うすぼんやりと室内の輪郭が見えてくる。私はおもむろに靴を脱ぎ、ゆっくりと足を踏み出す。狭い廊下を進み、居間にたどり着いたところで、私は、もう一度、息をひそめ、あたりの物音に耳をすます。
 冷蔵庫の低いモーター音が、部屋の中に響いている。それ以外には何も聞こえない。妻の寝息さえ聞こえてこない。
 はたして妻は、寝入っているのだろうか。あるいは布団の中でじっと身じろぎもせず、私の動きに耳をすませているのだろうか。
 最近、妻は睡眠薬を飲んでも、なかなか眠れないと愚痴るようになった。もしかすると、まだ寝付けないでいるかもしれない。
 そうだとしたら、暗闇の中で、夫婦がお互い相手の気配にじっと耳をすませていることになる。
 これは哀れなくらいに笑える話だ。私は、口の中で苦笑を押し殺しながら、壁のスイッチに手を伸ばし、室内灯をつける。白っぽい光に目が慣れるまで、しばらく時間がかかった。家具も電化製品もほとんどない、がらんとした寂しい部屋が視界に映る。あるのは座卓と小さな茶ダンスと冷蔵庫くらいだ。壁には、カレンダー類も額も何も飾ってはいない。染みの滲んだ黄色い壁紙が広がっているだけだ。
 前の住宅から、夜逃げ同然で引っ越してきたせいで、贅沢なものは、このアパートには何ひとつない。
 もちろん、ここにはテレビもない。妻が、「テレビなんて、死んでも二度と観たくない」と強く言い張ったからだ。
 私にしても、まったく同じ気持ちだった。

 息子が人を殺した時、テレビ画面に映し出され続けたおぞましい映像やレポーターの甲高い声が、今でも鮮明に私の脳裏に焼きついている。
 私と妻は連日のようにテレビ・レポーターの前に引きずり出され、『どのようにして息子さんを育てたんですか?』とか、『子育ての仕方が間違っていたとは思いませんか?』とか、『愛情をもって息子さんを育てなかったんじゃないですか?』などといった質問を繰り返し浴びせかけられた。まるで私たち夫婦が、『望んで息子を人殺しに育てた』かのように。
 その後もしばらくの間、私たちは息子の育て方について、様々な批判や指摘を受けた。
「中学生になってからも、息子の気持ちを考えずに全て言いなりにしていたのは、私たち親の過保護であり過干渉である」だとか、「高校生になって、突然激しく反抗してきた息子に、何も言い返せず、ただ彼の言いなりになってしまったのは、私たち親の責任放棄である」だとか「高校の途中で不登校になった後、家を飛び出して、二十三歳の時に通りすがりの通行人を包丁で刺し殺してしまうまで、息子の居場所さえ把握していなかったのは、親としての義務の放棄である」などといった指摘だった。
 私たち夫婦は、カメラの前で『自分たちの子育ての仕方が間違っていました。息子を、人殺しに育てたのは、私たち親の責任です。ご遺族の皆様には本当に申し訳ありませんでした』と、地面に土下座をして謝った。
 あの当時、私は病的なくらい他人の視線が怖くてならなかった。自分に向けられている視線に気づくたびに、「お前は、人殺しを育てた親なのだ」と糾弾されているような気がしてならなかった。食欲は落ち、夜も眠れなくなり、家から一歩も出られなくなった。妻は、私よりもひどい精神症状に陥っていた。
 事件から三ヶ月ほどが過ぎ、報道がひと段落した頃、私たちは、もう自分の家には住んでいられなくなり、遠く離れた今の町にひっそりと引っ越してきた。
 夜のビル警備という、ほとんど他人と接触することのない仕事を見つけることができた時、正直なところ私は心底安心した。

 私は、冷蔵庫を開け、お総菜の入ったプラスチック容器を取り出す。妻は、あの事件以後、まったく料理をすることがなくなった。
 たいして腹もすいていない私は、手早く食事をすませる。夜中じゅう警備室のイスに座り、定時ごとにビルの中を見回るだけの仕事だから、そもそも腹なんて空きもしない。
 食事が終わってから、そそくさと風呂を浴び、居間に戻ってくると、もう私のすることはない。青白い蛍光灯の底で、ただぼんやりと座ったまま、眠気がやってくるのを待つ。
 ぼんやりと退屈な時間をもてあましていると、私は無意識のうちに、『どうして息子は人殺しなどするようになってしまったんだろう』という疑問に捕らえられている。
 その疑問をきっかけに、次から次へと別の疑問が湧いてくる。
「息子は、人を殺すことで私たちに何を訴えようとしていたんだろうか」
「親として、息子の人殺しを止める手段は何もなかったんだろうか」
「私たち夫婦の子育てに、どんな間違いがあったんだろうか」
「人殺しの親として、これからどうやって罪の償いをしていったらいいんだろうか」
 疑問の堂々めぐりが永遠に続き、いつまでも答なんて出てこない。
 答えの見えない疑問の連鎖に、少しずつ心の中で苛立ちが募ってくる。狂おしい想いが、黒いドロドロとした固まりとなって膨らんでくる。
 ああ、私は、息子を人殺しに育ててしまったんだ。
 ああ、私は、息子を人殺しに育ててしまったんだ。
 ああ、私は、…………
 いったいこの罪を、どうすれば償うことができるというんだ?
 いっそ自ら首を吊って死んでしまおうか? そうすれば、自分の罪を償うことができるのではないか?

 電線を揺らす寂しげな風の音で、目が覚めた。置き時計を見ると、針は午後三時すぎを指していた。初冬の陽は、ほとんど沈みかけていて、部屋の中は薄暗い。
 布団から起き上がり、居間に行くと、妻が床に座り込んで、ぼんやりとベランダの外を眺めていた。化粧気のない青白い顔、背中まで伸びている白髪まじりのボサボサの髪の毛。私より三つ若い五十一なのに、力なく猫背姿で座っている姿は、まるで七十を越えた老婆だ。
 妻は、私が部屋に入っていっても、こちらを見ようともしない。意識の抜けた脱け殻のように、ただ窓の外に視線を向けている。
  私は、冷蔵庫に入っていたキャベツと長ネギを使ってみそ汁を作る。そして買い置きのお総菜と一緒に、座卓に並べる。妻の茶碗も用意してから、私は勝手に食事を始める。時によっては、妻も二口三口食べることがあるが、食べないことの方が多い。でも私は、あえて無理に食べさせようとはしない。腹が減ったら、勝手に食べるだろう。そんな気持ちだ。
 五時過ぎに、私はアパートを出て、街中の商業ビルに向かう。雪が降るまでは、中古で買った婦人用の自転車に乗るが、二十分もかからないで着いてしまう。
 畳二畳ほどの狭い警備室に入り、日誌を記入してから、まずはビルの中をひとまわりする。警備室に戻ってきたら、見回りの時刻を記入する。その後も、一時間ごとにビルの中を回り、日誌に記入する。
 夜の八時を過ぎると正面玄関のドアが施錠されるので、帰宅する社員達は、みんな警備室の前を通っていく。夜の十時を過ぎると、社員のほとんどが帰宅し、ビルの中は私一人になる。まれに私の勤める警備会社から確認の電話がかかってくる以外、ほとんど電話はない。誰と口をきくこともなく、定時にビルを回るだけの仕事だ。世間との関わりを切りたいと願ってきた私にとっては、これ以上望める職場はない。誰とも関わらず、誰とも顔を合わせない。誰も私に関心を持たず、誰も私に声をかけない。ひっそりと世間の片隅に身を潜めた生活だ。
 警備室のイスに長時間座っていると、腰が痛くなったり、肩が凝ってきたりする。そんな時、私は警備室を出て、少しの間だけ建物の外に出る。そして夜の冷気を胸一杯に吸いこみ、両腕を振り回したり、軽い屈伸運動をやったりする。二、三分もそんなことをしていると、体に溜まっていた重苦しい澱みが体内から消えていく。
 ちょうど警備室の道路向かいに二十四時間営業のコンビニがある。それほど頻繁ではないが、ときおり誰かが車でやって来ては、何か買い物をして帰って行く。
 世間から身を隠している私ではあるが、暗闇の中で、夜通し明るい灯のついている店先を眺めていると、不思議と気持ちが慰められる。
  夜中の二時を過ぎた頃だった。
 定時の巡回をしてきた私は、新鮮な空気を吸おうとドアを開けて外に出た。
 大きく伸びをし、胸一杯に冷気を吸い込む。
 その時、向かいのコンビニから、黒い人影が勢いよく飛び出してきた。人影は、そのまま激しい勢いで西の方へと駆けていく。
 コンビニから人が走って飛び出してくるなんてなんか変だぞ。そんな直感がよぎった。
  その直後、コンビニの制服を着た男がドアから飛び出してきた。
「強盗だぁぁぁ!」ほとんど絶叫に近い叫び声が、暗闇を貫いて響き渡った。
 気がつくと、私は黒い人影を追って、舗道を西方向に向かって全力で駆けだしていた。
  道路向かいではあるが、黒い人影と私とは直線距離にして、まだ三〇メートルほどしか離れていない。これでも若い頃は、陸上競技の百メートル選手として活躍してた私だ。なにくそ、すぐに追いついてやる。
 そんな高ぶった気持ちで、道路を斜めに走りながら黒い人影を必死に追いかけた。
  三〇メートルほどあった距離が、少しずつ縮まってくる。あともう二〇メートルほどだ。このまま追いつけるかもしれない。
 そう思ったのもつかの間、急に息が上がってきた。足が絡まりそうになり、一気にスピードが落ちた。
 二〇メートルくらいにまでに縮まっていた距離が、三〇メートル、四〇メートルへと離されていく。やっぱりだめか。
 と思った時、横からコンビニの制服を着た男が、風のように私を追い抜いていった。
 彼は、スピードを上げたまま黒い人影に近づいていく。
  黒い人影が、角を左に折れた。コンビニの男も、すぐその後を左に曲がって行く。
 私も、やや遅れながら必死に走って、角を左に曲がった。直後、黒い人影に向かってコンビニの男が飛びかかっていくのが見えた。二つの人影が絡まり合って路面を転がる。何か叫び合いながらもみ合っている。
 先に立ち上がったのは、黒い人影の方だった。コンビニの男は、地面にうずくまったままだ。
 息を切らしながら、ようやくその場所にたどり着いた時、黒い人影の右手に握られた光る物体が目に映った。ナイフか?
 コンビニの男は、腹のあたりを押さえながら呻き声を上げている。
 黒い人影が、ナイフを突きだして、私の方に身構えた。
 背中を、ザワザワと悪寒が走り抜けた。私の人生も、ここまでか?
 いったいどうして、私は、こんな所でナイフを持った男なんかと向かい合っているんだ? そんな疑念が、ふと意識の片隅に浮かんだ。だいたい相手は、自分の警備してるビルに入った強盗でもないのだし、私には、何の関係もないのだ。
 複雑な想いが、私の意識の中をぐるぐると駆け回った。でも、いまさらこんなところで迷っているわけにはいかない。
 私は意を決して、ナイフを突き出している男に向かって声をかけた。
「ナ、ナイフを捨てなさい。……けっ、警察に連絡してあるから、もうすぐ、パ、パトカーだってやってくるぞ」
 相手の男は、躊躇する素振りを見せてから、私に向かって勢いよく二度、三度とナイフを突きだしてきた。ナイフを避けながら、一歩二歩と後ずさりし、相手の動きが止まった瞬間をねらって、相手の体に向かって無理矢理に突っ込んでいった。
 ナイフを持っている男の右腕を、あと僅かで掴みかけたとき、舗道の割れ目に右足の爪先が引っかかり、私は路面に勢いよく転がってしまった。
 黒い影が、素早く私の体に馬乗りになってきた。男が、右手を高く掲げる。体を左右に振って逃れようとしたが間に合わなかった。光る物体が私に向かって勢いよく振り下ろされてくる。
 ああっ、刺される!
 その瞬間、ある想念が、稲妻のように私の脳髄を駆け抜けた。
 私は、ずっと長い間、息子を殺人者に育ててしまったという十字架を背負って生きてきた。深い罪の意識に苛まれて生きてきた。
 しかし、たった今、社会の正義を守ろうとして自らの命を投げ出し、コンビニ強盗に刺し殺されようとしている。
 これこそ、十字架を背負って生きてきた私にとっては、まさに罪の償いに相応しい奇跡とも呼べる出来事だ。
 私の背負ってきた罪に、この償いが作用して、ようやく私は、負の人生から解放されるのだ。私が長く引きずってきた罪の意識から解放されるのだ。
 さあ、コンビニ強盗野郎よ。お前の、その鋭利なナイフで、私のはらわたをグサグサと刺しまくってくれ。そして、私の汚れた罪をズタズタに切り裂いてくれ。
 そう心の中で叫んだ直後、軽く殴られたようなショックが、二度、三度と、胸や腹のあたりを貫いた。
 しかし、痛みは感じなかった。
  胸や腹のあたりから、トロトロと生温かいものが流れ出てくるのがわかった。
 私は、得も言われない不思議な恍惚感に満たされていた。
 ようやく、これで私の罪は償われたのだ。
 遠のいていく意識の片隅で、パトカーの音が鳴っているのがわかった。
 
 残念ながら私は死ななかった。
 胸と腹を刺したナイフの傷が、思ったほど深くはなかったからだ。ひと月ほどで、私は病院を退院することができた。
 というわけで、傷の治った私は、今でも、以前と同じ商業ビルの警備員をやっている。

【十勝毎日新聞 2010年(平成22年)1月3日 掲載】