泣きべそヒトシ

「ヒューキひゃん、きょうのしるメヒたべきゃら、オレんひ、あそびぃにこんきゃい?」
 土曜日の昼前、帰りの会が終わって、机を教室の後へ下げているところに、ヒトシが背中から声をかけてきた。
  ヒトシは、舌がうまく回らない。発音がハッキリしないから、ヒトシの言葉をちゃんと聞き取るのは、けっこうむつかしい。
 身体だってナヨナヨしている。「気をつけ」の姿勢で背筋を伸ばして立っていることもできないし、歩く時は体が奇妙に左右に揺れてしまう。赤ちゃんの頃に小児マヒって病気にかかり、その「コーイショウ」だろうって母親が言ってたことがある。
 でも、ヒトシの頭はいい。算数や国語のテストでは、いつも僕よりも高い点を取ってる。だからって訳ではないけど、誰もヒトシのことをバカにしたりはしない。
 でも、ヒトシは泣きべそだ。友達に注意されたり、口げんかで負けたりしたら、すぐにビービー泣く。
「ああ、いいよ」と僕は、振り向いてヒトシに答えた。
 僕の言葉を聞いて、「じぃやぁあ、いへでまっちぇるよぉ」とニッと笑いかけてきた。
「うん。昼飯くったら、すぐに行っから」と答えて、僕はランドセルを背負った。
 北栄小学校を出て、まっすぐ東に向かって五町ほど歩いたあたりに僕の家はあった。「黄金湯」という銭湯の向かいだ。
 誰もいない家で、すぐに即席ラーメンを作り、冷えたご飯といっしょに啜り込んだ。使った食器を水に浸してから、僕は自転車にまたがってヒトシの家に向かった。
 ヒトシの家は、小学校の北側の、士幌線の鉄道を越えたあたりにあった。
 玄関を開けて、「コンチワ!」と大声で挨拶をすると、茶の間からヒトシのお母さんが顔を出した。上品そうな笑顔を浮かべて、「いらっしゃい!」と声をかけてくれる。
 ヒトシのお母さんは、三十を過ぎたばかりくらいの若くてきれいな人だ。いつも高級そうな服を着て、髪もきちんと切り揃えてある。ボサボサ頭の僕の母親とは大違いだ。
 その日、僕はヒトシの部屋で、マンガを描いたり、トランプや花札をしたり、組み立てブロックで家を作ったりして遊んだ。ヒトシが、他の子供のように外遊びが得意じゃないから、彼との遊びは、たいてい室内になる。遊びが一段落すると、部屋の隅に置いてあるエレクトーンを交代で弾いたりもした。
 普段はナヨナヨしているヒトシだけど、エレクトーンを弾く時だけは、まるで別人に生まれ変わったようにキビキビと鍵盤を操る。
「ヒトシ、エレクトーンだけは、誰よりもウマイよなぁ」と褒めると、ヒトシはニコッと微笑んで、 
「そりぃやぁ、ごしゃいから、なりゃっちぇるからにゃぁ」と自慢げに呟いた。 
 そんなふうに遊んでいると、たいていヒトシの母親がクッキーと紅茶を持って現れる。
 クッキーと紅茶なんていう組合せは、僕の家では、絶対にあり得ない。母が僕の友達に出すと言えば、せいぜいが水で溶かす粉ジュースにセンベイくらいなものだ。
 僕は、クッキーを勢いよく口に押し込んでゴリゴリと噛み砕くと、紅茶でいっきに喉の奥へと流し込み、すでに左手では次のクッキーを握っていた。
 そんな僕の様子を、ヒトシの母親はニコニコとした笑顔で眺めながら、
「ユウキくん、いつも、うちのヒトシと遊んでくれて、どうもありがとね」と、優しい口調で言ってくれた。
 障害を持ったわが子が学校でいじめられていないか、他の子供たちからバカにされてないか、遊んでくれる友達はいるのか、そんな心配を日がな一日しているのだろう。僕が遊びに行くと、ことさら嬉しい笑顔と茶菓子で歓待してくれた。

 五月の末に、担任の小野寺先生が、帰りの会に、突然バクダン発言を行った。
「みんな、聞いてくれ。六月になったら、先生は、勉強のためにひと月間、札幌に行かなくちゃならないんだ。その間、この学級は三つのグループに分かれて、一組と三組と四組に別れて勉強することになる。本当に申し訳ないけど、それぞれのクラスで、先生の言うことをよくきいて、頑張ってほしい!」
 その瞬間、クラスの中は、絶叫と悲鳴と溜め息の坩堝と化していた。
  次の月曜日の朝、僕らは、それぞれ三つのグループに分かれ、二組の教室を後にした。自分のクラスを失うことで、みんな寂しく暗い気持ちだった。
  僕とヒトシは一緒に四年四組の教室に入ることになった。担任の横山先生の指示で、机を並べたところで、グループのみんなが、教室の前に出て挨拶を行うことになった。
 顔はだいたい知ってるものの、やっぱり別のクラスだ。僕らは、緊張と気恥ずかしさに耐えながら、黒板を背に「気を付け」の姿勢を取り、自分の名前と、好きな教科、特技などを順番に言っていった。
 僕の番になった。ドキドキして、口を動かすのに声がすぐに出てこなかった。
「……スギモト・ユウキです。好きな教科は図工です。特技は、ビー玉です。よろしくお願いします!」と僕は頭を下げた。本当は、ビー玉なんて特技ではなかったけれど、とりあえず大きな声で自己紹介ができたから、ひと安心だった。
 僕の次は、横に並んだヒトシだった。
 すぐにヒトシの挨拶が始まるものと思ってたが、いつまでたっても彼の声が聞こえてこない。どうしたんだろうと不思議に思って、横を見た。
 青白い顔を浮かべたまま、ヒトシが落ち着きのない目で、教室をキョロキョロと見回していた。笑ったような表情を浮かべているのは、多分緊張のせいだったのだろう。
 僕は、肘でヒトシの体をつつきながら、
「おい、頑張れ!」と小声で囁いた。
 ヒトシは、僕の顔をチラリと見てから、不安そうな表情を浮かべたまま、下を向いてしまった。
 僕は、もう一度、肘でヒトシをつついた。でも、彼は俯いた顔を上げようとしない。
 教室の中がザワザワと騒がしくなってきた。横山先生が、戸惑いの表情を浮かべながら、「さあ、みんな、静かにして。ちゃんと二組の人の挨拶をきいてあげましょうねぇ」と穏やかな中にも毅然とした口調で言った。
 クラスの中が静かになる。学級の全員が、じっとヒトシに視線を集中して挨拶を待っている。重苦しいくらいの沈黙だ。
 ヒトシが挨拶できなかったらサイテーだなと僕は思った。今日からひと月間、僕たち二組の十五名は、この四年四組で、お世話にならなくちゃならないのだ。きちんと挨拶くらできなくちゃ、この先が思いやられる。
 そんな心配をしているうちに、だんだんと腹が立ってきた。ヒトシは、どうして挨拶くらい、すぐにできないんだ?
 その時だった。
「ねえ、ヒトシ君。早く挨拶してよ。あなたの次にも、待っている人がいるのよ!」と強い口調でヒトシに向かって声をかけたのは、二組の委員長をしている早坂トモエだ。
「……そうだよ、早く挨拶すれよ」と、僕もトモエの声につられて、ヒトシに言った。
 ヒトシの目から涙がボトリと落ちた。
 その涙を見て、僕はますます腹立たしくなってきた。これくらいの人前で挨拶ができない上に、泣き出すヤツなんて、二組の恥だ。
「泣くなよ! ほら、ちゃんと挨拶しろよ!」「そうよ、ヒトシ君、泣いてないで、ちゃんと挨拶しなさいよ!」と周りからの非難の声が湧き上がってきた。
 でも、ヒトシはいっこうに泣きやまない。それどころか、洟を啜りながらヒィーヒィーと激しく泣き声を上げる
「まあ、仕方がないわね。それじゃあ、高田君を飛ばして、次の人、挨拶してくれる?」と助け船を出してきたのは横山先生だった。
 全員の挨拶が終わって後も、一時間目の授業が終わるまで、ヒトシは自分の机に座ってずっと泣き続けていた。
 休み時間になって、僕は、ヒトシを叱って泣かしてしまった自分の行為に、ちょっぴり後悔の念を意識しながら、
「ほら、もう泣くのやめろって。さあ、一緒に便所に行くべ」と声をかけた。
 でも、ヒトシは机に俯したまま、顔を上げようともしなかった。
「フン、もう勝手にしろや!」と捨てゼリフを残して、僕は他の友達と教室を出ていった。
 今にして考えると、ヒトシは明瞭に発音できないことのコンプレックスから、人前で話したくなかったのだろう。自分のクラスであれば、多少は恥をかきながらでも話すことができるのだろうが、他のクラスでは、そこまでの勇気がなかったのだろう。
 でも、当時の僕は、そういったヒトシの気持ちなんて、まったく理解できなかった。

 その後、ヒトシが何か問題を起こすことはなく、四組での生活は、おおむね順調に進んだ。
 小野寺先生がひと月間の研修を終えて学校に帰ってきた時は、二組の全員が歓声を上げて、古巣の教室に結集したのだった。

 夏休みが過ぎ、二学期が始まった。
 九月に、クラス対抗のスポーツ大会が開催されることになった。男子はグラウンドでソフトボール、女子は体育館でのドッヂボールとなった。
 僕は、クラスの中でソフトボールの選抜メンバーに選ばれた。大会までの十日間あまり、放課後にメンバーがグラウンドに集まって猛練習に打ち込んだ。
 試合当日、第一試合の相手は三組だった。三組は、守備は巧いが、打撃が今ひとつだ。僕らのチームは七対三での圧勝だった。
 思いもかけない事故は、次の第三試合を待っている空き時間に起きてしまった。
 僕は、ネット裏の回旋塔で、クラスの友達とふざけあいながらグルグルと回っていた。チェーンのヒモにぶら下がったまま、前に移動したり、後ろに下がったりしている連中もいたが、それは毎度のことだった。僕を追い越して前に進んだアッちゃんが、反動で後ろに戻ってきた時、たまたま僕のつかんでいる手に、チェーンが絡みついてきた。
 瞬間、右手の指先を激痛が貫いた。
「いてぇっ!」
 すぐにグリップを離し、回旋塔から離れた。右手の親指の付け根あたりが、ズキズキと脈打つように痛む。回旋塔からおりてきた友達が少しずつ僕の周りに集まってきていた。
「どうした?」
「アッちゃんがぶら下がってたチェーンが、オレの手に絡んできたんだよ」と、激痛に耐え、涙に滲んだ目を瞬きながら答えた。
「オレは、ユウちゃんのところに、ぶつかってなんかいないよ!」と、アッちゃんは大きな身振りで弁解してる。
「ウソ言うなよ。お前がふざけて、絡んできたから、こんなことになったんだよ!」と僕は大声で言い返した。
「とにかく、すぐに保健室に行ったほうがいいよ」と誰かが言った。
 そうこうするうちにも親指の根元は、みるみるブス色に腫れあがってくる。
 友達数人につきそわれて、僕は保健室に行った。四十すぎの保健の先生は、僕の親指を見るなり、「もしかすると骨が折れちゃってるかもしれないわねぇ」と呟きながら、とりあえず湿布をしてくれてた。
「家に帰ったら、すぐに病院に連れてって貰った方がいいわ」
「スギモトがケガしたって?」と、ドアのあたりから小野寺先生の声が聞こえた。
 顔を上げると、小野寺先生と目があった。
「どうしたんだ?」と、驚いたような怒った顔で僕を見ながら近づいてきた。
 僕は、ケガをするまでのあらましを伝えた。
「試合がない間、遊具の所で遊んだらダメだって朝の会で言っただろう! 忘れちゃったのか?」と、小野寺先生が怒った口調で言った。
「……はい、覚えてます」と僕は力なく返事をした。
「誰が悪いとか、原因はどうだとか、そんなことはどうだっていいんだ。遊具のところで遊んでた連中全員が悪いんだ。スギモト、お前もだぞ!」
「はい……すいません」
「これから、決勝戦が始まるって時に、こんなケガをして、これじゃ試合に出れないじゃないか。他の仲間に悪いと思わないのか?これで試合に負けて、学年優勝できなかったら、お前のせいだぞ!」
「はい……」
「……まあ、いい。今日はすぐに帰って、お母さんにでも病院に連れてってもらえ」
 そう言い残すと、小野寺先生は保健の先生に挨拶をして部屋から出ていってしまった。
 教室に戻って自分のランドセルを取り、外に出ると、グラウンドでは、すでに決勝戦が始まっていた。
 僕は、バックネットの裏に座り込んで、しばらく試合の様子を眺めていた。
 先生に怒られてしまったこと、ケガをしてしまったことの落胆、それから決勝戦に出られないことの悔しさ、そんな様々な思いがじわじわと胸の奧からせりあがってきた。不意に、目から涙が溢れてきた。いったん泣き出してしまうと、涙はしばらくとまらなかった。
「ヒューキちゃん、なきゅなっちぇ」
 気がつくと、僕の隣からヒトシの声が聞こえてきた。
「ケガをしちゃっちゃんじゃから、しかちゃがないっちぇ。だかりゃ、なきゅなっちぇ」
 ヒトシの声を聞いているうちに、少しずつ涙がおさまってきた。
「おりぇなんきゃ、しぇんしゅにもえらびゃれにゃかっちゃ。でみょ、ヒューキちゃんは、しあいにゅも、ちゃんとでりぇたし、よかっちゃじゃないきゃ。だきゃら、なきゅなっちぇ。げんきゅい、だしぇよぉ」
 涙がとまった僕は、下を向いたまま、ヒトシの言葉を聞いていた。遠くからは時折、試合の歓声がこだまするように響いてくる。その度に、僕の心がギリギリと痛んだ。
 僕を慰めるヒトシの言葉に、突然ムカムカと腹が立ってきた。
「うるせえよ!運動なんかできないお前に、オレの気持ちなんてわかるかよ」気がつくと、自分の口が勝手に喋っていた。
「選抜選手に選ばれて、今日のためにずっと練習してきたんだ。それが、こんな大事な時にケガをしちゃったオレの気持ちなんて、お前にわかるはずがないんだ! 知ったようなふりをして気安く慰めるなよ!」
 そう言い放ってから、ランドセルを左手で掴み、僕は勢いよく立ち上がった。
 ケガをしてしまったことを他人のせいにしようとしている自分。小野寺先生に怒られても自分の非を認められない自分。そして、せっかく僕を慰めてくれたヒトシに、感謝の言葉を言うどころか、怒鳴り返してしまった自分。そんな身勝手で卑劣な自分自身に激しい嫌悪感を抱きながら、僕は校門に向かって走り出していた。
 走りながら、チラリとヒトシを見た。
 ヒトシは、哀しそうな目つきで、じっと僕を見つめていた。

【十勝毎日新聞 2005年(平成17年)12月4日 掲載】