「タラのこと」

Scene 1

 これから僕が書こうとしているのは「回想」で、「小説」ではない。つまり事実ということになる。

 いつも小説を書いてる僕が、なんで今さら「回想」なんて書こうと思ったのか? それは、格好よく言えば、正直に過去の自分と向き合ってみたいと思ったから。虚飾のベールを脱いで(素の自分のさらけ出して)、ありのままの出来事や、その時の正直な自分の気持ちを、できるだけ嘘いつわりなく書いてみたいと思った。

 小説だったら、どうしても作為が入ってしまう。いい意味でも、悪い意味でも。主人公の姿に、あるときは偽善的に、またあるときは偽悪的に自分の姿を投影する。でも、それは小説として当然のこと。

 最近ふと、ありのままの自分の過去を書いてみたいなと思った。特に、かつて片思いをした二人の女の子とのことを。それがきっかけだ。

 

 それで、まずは「タラ」のことから書き始めようと思う。(何回かに分けて、もしかすると何十回かになるかもしれない。でも、ボチボチ書いていく)

 さて、まずは「タラって何だ?」って話になる。

 もちろん、これは「鱈子」じゃない(笑)。

 サザエさんの「タラちゃん」でもない。

 「タラ」は、大学時代に僕が4年間、片思いをした女の子の、いわば「あだ名」、「愛称」だ。 

 実は、大学に入って1年間、僕はワンダーフォーゲル部に入っていた。

 「ワンダーフォーゲル」っていうのは、ご存じのように「山歩き」をさす。(もともとはドイツ語だと聞いている) でも、勘違いされたらこまるんだけど、「ワンダーフォーゲル部」っていうのは、「山岳部」とは違う。

 「山岳部」っていうのは、垂直の岩肌をアクロバティックに登っていったりするが、ワンダーフォーゲル部は、決してそんな危険なことはしない。ひたすらテクテクと登山道を歩いて行く。黙々と、汗をポタポタ流しながら。

 「山岳部」と「ワンダーフォーゲル部」には、そんな違いがある。

 話をもとにもどそう。

 今から20年くらい前の話だけど、名古屋市内の某弱小大学のワンダーフォーゲル部には、入部時に、先輩方から「愛称」をもらう「しきたり」があった。

 僕の場合は、本名の下の名前を一字取って、「ハル」という愛称だった。

 で、僕が片思いをした女の子は、「タラ」という愛称を先輩方からもらったというわけだ。

 本名とまったく関わりのない、そんな「タラ」なんて愛称をもらった経緯を、僕はよく知らない。(もしかしたら、サザエさんの「タラちゃん」から来ているのかもしれないが)

 僕が、ワンダーフォーゲル部に入ったときには、もう彼女は、みんなから「タラちゃん」と呼ばれていた。だから、彼女のことは、本名よりも「タラ」という呼び方のほうが、なんとなくしっくりとくる。

(もちろんのことだけれど、僕が彼女に向かって「タラちゃん!」なんて気軽に声をかけた記憶は、もちろん一度もない) 

Scene 2

 初めて僕が彼女を見たのは、ワンダーフォーゲル部に入る前のことだった。

 あれは、たぶん5月くらいのことだったと思う。

 外国学部棟の玄関脇にある広い教室に、フランス学科の入学メンバーが集まって、話合いを持った。入学を記念する文集を作ろうとか、そんな類の話をするためだった。

 話合いの途中、見知らぬ女の子が二人、前のドアから入ってきた。二人は、僕たちがが話合いをしていることにビックリした表情をうかべ、フランス学科の女の子と何か小声で話をすると、そのまま教室から出て行ってしまった。

(後から聞いた話によると、実はその教室でワンダーフォーゲル部のミーティングを予定していたのだそうだ。それで、その時間に会わせて、彼女たちは入ってきたのだった。でも、ワンダーフォーゲル部ではなくて、フランス学科の学生が集まって話合いをしてるので、彼女たちは驚いてしまったらしい。)

 その二人の女の子を見た瞬間、そのうちの一人に、僕は目を奪われてしまっていた。

 その子は、アイボリー色のミニのワンピースを着ていて、スラリと伸びた細い足からは、躍動感に溢れたエネルギーを感じさせた。髪の毛は、当時「狼カット」と呼ばれていたショートのざっくりとしたスタイルをしていた。短い髪から覗いている顔は、色白で、卵形のきれいな細顔だった。両目は、ちょっと吊り上がり気味で、ネコのような鋭さを感じさせた。頬がほんのりと薄赤く、口許に微かな笑みを浮かべていた。

 今でも不思議なんだけど、そんな彼女を見たその瞬間、僕は恋に落ちてしまっていた。

(その後、4年間にわたる、苦しくも悩ましい片想いが続くことになるなんて、僕はまったく予想だにしてなかった。まだウブで純朴な大学1年生だったのだ)

Scene 3

 僕は、大学に入った時から、ワンダーフォーゲル部にでも入って山歩きをしてみたいという気持ちはもっていた。ただ、部に入らなくても山歩きはできるし、どうしようかなとずっと迷っていた。

 でも、僕は彼女を見て、すぐに入部を決心した。(好きになった女の子と近づけるのなら、別に僕じゃなくても男だったら誰でもそうすると思うんだけど)

 それで、さっそく僕は学生会館の4階にある、ワンダーフォーゲル部の部室を尋ねて、入部をお願いすることになった。たぶん5月の連休明けくらいの頃だったと思う。

 そのあたりの細かな記憶はあまりない。薄暗い部室に入ってくと、オジサンみたいな年上の先輩がギターを弾いていたような気がする。(先輩方は、みんなオジサン、オバサンに見えた。)

 部員は、1年生から3年生まで、総勢で25人くらいだったと思う。

 じつは僕の入った大学というのは、もともと前身は「県立女子大学」だった。だから、まだその頃も全体的に女子学生の多い大学だった。そんなことでワンダーフォーゲル部も女子の部員の方が多かった。(6、7割は女の子だったと思う)

 定例のミーティングで部員のみんなに挨拶したりしてる筈だけれど、そんな記憶も定かではない。覚えてるのは、2年生の先輩に、「秀岳荘」という登山用品を売っているお店に連れて行かれて、キャラバンシューズやニッカズボンやキスリングを選んだことくらいだ。

 憧れのタラと、最初どんなふうに口をきいて、その後どんなふうに親しくなっていったのか、そのあたりも実はハッキリとした記憶はない。部員の何人かで、1階にある喫茶室にコーヒーを飲みに行ってお喋りしているうちに、少しずつ顔見知りになっていったような記憶がある。大学近くのお好み屋に、部員の仲間でお好みを食べに出かけたこともあるような気がする。その中にも、タラがいたかもしれない。

 まあそんな感じで、僕は少しずつタラの人となりを知るようになっていった。

 彼女は、心の中に浮かんだことは、どんなことであれ、その場で口に出して言ってしまうタイプの、明朗で快活な性格の子だった。高校時代まではずっと剣道をやっていたというくらいだから、勝ち気で負けず嫌いな面もあった。兄が一人いて、二人兄弟の末っ子だからなのか、多少気ままで、我が儘な傾向も見られた。

 細身のスタイルがよく、顔立ちも整っているので、遠くからでもハッと人の目を惹いた。僕以外にも、彼女のファンはきっと多かっただろうと思う。

 自宅が名古屋市の郊外にあって、地下鉄・東山線の終着駅「藤が丘」から大学まで通っていた。

 

 5月の下旬くらいからワンダーフォーゲル部での山行が始まった。まずは錬成と言って、5、6人のパーティを作って、鈴鹿山脈に一泊二日の登山に出かける。初めて20キロあまりのキスリングを背負って山に登った時、キスリングの紐をキツく締めすぎて、途中で両腕が痺れてしまった。ずっと大学入試の勉強ばかりしていて、体力も落ちている頃だったし、とにかく最初の山登りは辛かった。山を下りてきた時には、フラフラで倒れてしまいそうになった。

 でも、さすが錬成も2度目くらいになると、多少は山の歩き方も馴れてきていたと思う。


 6月に入って、夏合宿のパーティ・メンバーが発表された。

 すると、なんと僕とタラが同じパーティに入っていたのだ。心の中で快哉を叫んだのはもちろんだ。

 同じパーティに入って、一緒にトレーニングをしたり、頻繁にミーティングをしたるするうちに、僕とタラの関係は、だんだんと親しいものになっていった。

Scene 4

 当時の自分自身のことを、少し書いてみよう。

 入試を終えて、一応目標にしていた大学に入って、フランス語の勉強を始めたものの、思い描いていたような大学生活ではなくて、いくぶん僕のやる気は減退していたと思う。

 大学の勉強って、高尚で、深くて、自由な理念に溢れているだろうと勝手に思い描いていた。でも、そんな講義や演習をしてくれるような教授なんて、ほとんどいなかった。なんか、まるで高校の授業の延長のようだった。

 それで、5月を過ぎる頃になると、毎回出席を取らない講義なんかは、あんまり真面目に出ないようになってしまっていた。でも、いくつか面白い演習や講義もあった。「キャサリン・マンスフィールド」の短編小説を読む英語の演習だとか、実習が多い「地学」の講義など。もちろん、フランス学科の基礎講義はちゃんと出ていたけれど。


 ところで、僕は、当時どんな本を読んでいたのだろう?

 庄司薫の「赤頭巾ちゃんシリーズ」は好きだった。坂口安吾の「堕落論」なんかも、熱中して読んでいたような気がする。高橋和巳の「悲の器」だとか、辻邦生の「夏の砦」、立原正秋の「冬の旅」なんかも好きだった。

 どんな風に生きていったらいいのか分からずに、「三太郎の日記」なんかも読んでいた。

 なんか、手当たり次第に色んな本に手を出していた。でも、今から考えると、半分以上も理解なんかしていなかったような気もする。ただ、文字を目で追っていただけだ、たぶん。


 僕がタラを好きになったのは、そんな季節だった。

 僕は、彼女に何を求めていたのだろう?

 理想の「女神像」か?

 自由奔放なビーナスか?

 単なる憧れか?

 勝手に、好みの女性のタイプを、彼女に当てはめていただけか?

 もしかして、自分の母親の姿を、彼女の中に追い求めていただけなのかもしれない。

 そんなところだろう。


 とにかく、僕は勝手に、そして一方的に、タラにお熱を上げていた。

 

Scene 5

 夏合宿に向けて、鈴鹿山脈に日帰りで山行に出かけたことがある。たぶん、「霊仙岳」とかいう名前の低い山だったと思う。夏合宿にいくパーティのメンバーだった。リーダー、サブリーダー、2年生の女の子、1年生の二人の女の子、それに僕を含めた6人だった。

 山の頂上に着くと、あたりは霧に覆われていた。右も左も分からなくなるような濃い霧だ。もちろんコンパスや地図を持ち合わせてるから、道に迷うことはなかった。

 それが、僕とタラが一緒に山に登った最初だった。f他のメンバーもいたから、特別二人だけがという訳ではないけれど、彼女と親しくなっていった最初の山行だったので、深く印象に残っている。

 彼女の近くにいて、一緒に山登りができるというだけで、僕は幸せだった。

 霧の中で、登山道を探しながらウロウロと歩いていた情景が、今でも鮮やかに残っている。

 霧のせいで、髪の毛がしっとりと濡れていたことも、どういうわけかよく覚えている。

 

 彼女の近くにいることの幸福感は、その次の、中央アルプスの登山にも、また夏合宿で登った南アルプスの「北岳」まで、ずっと続いていた。(今から考えると、それはほんの一時の、幻のような幸福感でしかなかったのだけれど)

 

 中央アルプスは、木曽駒ヶ岳に登った。標高2956m、中央アルプス(木曽山脈)での、最高峰だ。

 この頂上に登るのは、二日がかりだった。一日で頂上までたどり着けない山は初めてだったので、けっこうキツかった。キスリングの重さは、多分30キロ近くあったような気がする。それこそ、肩にギッシリと食い込んでくる重みを支えながら、一歩一歩上り詰めていった。

 パーティーの中で、並ぶ順番が、タラと僕が続いているので、タラはいつも僕の前にいた。彼女の背中を眺めながら、(というか彼女のキスリングを眺めながら)僕は山を登っていた。

 途中、8合目あたりにある山小屋に泊まり(山小屋といっても、幽霊屋敷のような廃屋の小屋)、翌朝、夜明けくらいから登り始めて、午前10時くらいには山頂に着いた。

 木曽駒の山頂にテントを張った。テントサイトの近くに小さな雪渓があったので、皆で雪上を滑って楽しんだ。

 木曽駒の頂上から、徒歩で30分くらいの場所に宝剣岳という山があったので、軽装でピストン登山に出かけた。途中、幅が1mほどの狭い稜線を歩いた。右も左も、切り立った渓谷になっていて、一歩足を踏み外せば、命を落としてしまうような危険な道だった。

 日が沈むと、満天の星空は、それこそダイヤモンドを散りばめたようにきれいだった。夕食後、メンバーの皆で、そんな美しい夜空をぼんやりと眺めた。

 翌朝、テントから外に出ると、ポリタンクの水が凍っていた。それくらい寒かった。

 朝食を終えて、テントを片付け、すぐに下山を始めた。昼過ぎには山の下におり、夕方には名古屋に帰っていた。 

 名古屋に帰ってくると、部のみんなで駅近くの安い居酒屋に出かけて、打ち上げをやった。

 山から帰ってくると、皆で大いに飲んだり食べたりして盛り上がるのが、僕らのワンゲル部の習わしだった。

 タラは、ほどほどにお酒が飲めたので、いつもビールを煽りながら盛り上がっていた。それに、すでに書いているように、結構な美人で、かつ朗らかで快活な性格だったので、男の先輩方から、適当にからかわれたり、ちょっかいを出されたりしながら、いつも楽しそうに飲んで、騒いでた。

 僕と言えば、アルコールに弱いので、大して飲みもしないうちに、顔を真っ赤に染めて畳の上に横たわっていた。タラが、他の部員と楽しそうに騒いでいるのを、聞くともなく聞いていた。


 山の上でも、地上に降りてきてからも、僕らは気軽に何でも話をした。でも、べつに僕らは恋人同士でも何でもなかなった。お互いに親しい女友達・男友達といった関係を維持し続けた。(とりあえず、僕は、彼女に対して親しい女友達という振りをし続けた)

 でも、もしかしたらタラは、僕の本当の気持ちを薄々気づいていたかもしれない。

 気づいたとしてら、それがいつの頃のことなのか、それは定かには言えない。でもきっと気づいていたと思う。

 もしかしたら、それは、夏合宿も過ぎて、秋の頃のことだったかもしれない。

 それとも、もっともっと後の、冬とか、2年生になった頃のことかもしれない。

 それがいつのことかは分からない。でも間違いなく、彼女はどこかの時点で、僕が彼女に片想いをしていることに気づいていた筈だ。

 もちろん、僕は、言葉尻や、行動に出して、彼女への好意をひけらかすようなことはしていなかった。じっと胸の中に秘めたまま、彼女といい関係を築いていた。いや、築こうと努めていた。

 同じワンゲル部内で、男女間の恋愛関係がもつれるなんてことはしたくなかった。だから、二人がワンゲル部に所属している間は、僕は彼女に告白するつもりはなかった。(告白して、拒否されるのを恐れていたというのも、もちろんあるけれど)

 そんな二人の関係が、ずっと続いた。

Scene 6

 夏休みに入って、いよいよ僕らは、大本命の夏合宿に出かけた。目指すは南アルプスだ。(赤石山脈と呼ぶのが正しいらしい)

 僕らのパーティーは、広河原から入っていって、仙丈ヶ岳に登り、そのまま稜線沿いに山を下って、北岳の裏側に回り、そこから一気に北岳の頂上を目指すというコースを取った。

 たしか、全行程6泊7日くらいの山行だった。

 食料などでキスリングはズッシリと重く、平坦な道路を歩いていても、1時間も進むとへたばってしまった。

 楽しい思い出がひとつだけある。

 あれは確か仙丈ヶ岳に登る前日のことだった。タラが、差し入れで貰ったスイカを冷やしに沢に出かけていった。ところが、泣きながらテントに戻ってきた。(彼女は、本当によく泣いた。涙を流し、泣き声をたてながら)。聞くと、スイカを沢の水に冷やそうとして、浮き石に片足を載せたところ、その石がグラリと揺れた。靴の裏が滑り、石の上に尻もちをついてしまった。その瞬間、両手で抱えていたスイカを落としてしまったというのだ。

そのせいでスイカは割れ、お尻も石の角に激しく打ち付けてしまったのだという。

 彼女が泣いてしまったのは、スイカが割れて悲しかったからではなくて、お尻の激しい痛みに耐えかねてということだった。

 パーティーの皆は、彼女の話を聞きながら、苦笑いを浮かべたり、またやってるなという顔をしていたが、彼女の泣き声は、なかなか納まらなかった。

 

Scene 7

 僕らは、仙丈ヶ岳を下りて、そのまま北岳の西側に回り、両俣という沢沿いのサイト地に出た。そこに一泊し、翌朝、一気に頂上を目指して登っていった。

 どこまでも急登が続いた。僕たち、3つのパーティーは、追い越し、追い越されしながら、一歩ずつ登っていった。天気はよく、青空の遙か彼方に、北岳の頂上が眺められた。

 僕の前には、いつもタラがいた。僕は、彼女の背中を見ながら、必死に歩き続けた。

 今にして考えたら、僕にとってはあの時が、一番の幸せな時間だったのかもしれない。

 じわじわと上り詰め、昼頃にようやく頂上に到達した。

 北岳、標高3193メートル。その頂上に僕たちは立った。

 富士山に次ぐ、日本第二の高峰だ。

 でも、北岳の頂上は、ガスに覆われていて、あたりは真っ白だった。

 ヤッケ羽織り、お互いに身を寄せ合って昼食を取った。

 その後、定時の天気予報を聞きながら、気象図を書いた。すると、大変なことがわかった。なんと、太平洋上を日本に近づいていた台風が、この北岳に向かってまっすぐ突き進んでいるということがわかったのだ。

 翌朝くらいには、暴風圏内に入りそうだった。

 とりあえず、僕たちは頂上から少し下ったところにある北岳山荘のサイト地に行った。そして、3つのパーティのテントを寄せ合って立てた。

 もしも北岳の頂上で、台風の直撃を受けたら、布製のテントなんてひとたまりもない。遮るものの何もない山頂に吹き付ける強風で、あっというまにテントは吹き飛ばされてしまう。

 とりあえず夕食を取ってから、荷物を全てテントの中に入れた。それから僕らはテントの中でシュラフにくるまった。荷物があるせいで、全員が床に横になれないので、僕は並べられたキスリングの上に横になった。

 外は、風が吹き始め、雨粒がテントの屋根に当たってくる。時々、強風でテントが大きく煽られる。

 もしも、あまりに風が強くなって、テントが持ちこたえられなくなったら小屋に逃げ込もうと確認して、就寝となった。

 まんじりともしない夜が始まった……と言いたいところだけど、僕は、すぐに寝入ってしまった。すっかり疲れ切っていたからだろうと思う。

(後になって、タラから、「五嶋君は、いつものように高いびきをかいて眠っていたわよ」と笑われた)

幸いに台風は名古屋方面にそれてくれた。台風の直撃は受けなかったけれど、雨が続いたおかげで、それから二日間、僕らはテントの中にこもって、トランプをしながら、雨があがるのを待ち続けた。

 二日後、北岳の雪渓の中を、広河原に向かって下っていった。

 足が雪に滑らないように、一歩一歩ゆっくりと踏みしめて下りていくのだけれど、時々、ツルリと滑って尻もちをついてしまった。

 例によって、僕の前にはタラがいるので、足が雪に滑る度に、彼女のお尻を蹴っ飛ばしてしまった。そんなことが2回くらいあった。

 僕の足に蹴飛ばされたタラも、その勢いで雪の上に尻もちをついて倒れ込んでしまった。


 

Scene 8

 名古屋に帰ってから、僕たちは「夏合宿報告書」の作製に取りかかった。

 山行の行程、地図、天気図、装備品、細かな移動の記録、メンバー一人一人の感想などを印刷して、5パーティー分を1冊にまとめる。当時は、全てガリ切りをして、1枚ずつ輪転機にかけて印刷しなくてはならなかった。コピーなんて、とても高価で大学生が気軽に使える印刷方法じゃなかったからだ。

 僕は、記録係だったので、手帳にメモした記録をもとに、朝起きた時間から1日の出来事を、細かな時間を追って書き出していった。他のメンバーよりも作業が進まなくて、途中からタラが手伝ってくれた。

 手元に残っている冊子を見ると、途中からタラの丸っこい字体に変わっている。どういう経緯で、彼女に手伝ってもらうことになったのか記憶にないが、きっと僕の作業が遅くてイライラした彼女が、自分から手伝いを申し出てくれたんだろう。

 そんな報告書の作製途中で、ひとつだけ忘れられないタラの思い出がある。

 作業途中で、たまたま彼女が低いイスに腰を下ろしたとき、ワンピースの裾がめくれて、中の下着が見えてしまった。そのことに僕はすぐに気づいたけれど、とっても「スカートがめくれてるよ」とは言えない。

 それで、一計を案じて、僕は彼女に「立ち上がってほしいんだ」と頼み込んだ。

 彼女は、不審そうな顔をして僕を見つめて、「どうして?」と尋ねてきた」

 それでも、僕はスカートのことを言う勇気が湧いてこなかった。それで、また「どうでも、いいか、とにかく立ってくれないか?」と、もう一度頼み込んだ。

 彼女は、さらに困惑の顔つきを浮かべて、じっと僕を見つめた。

 「でも、どうしてなの?」

 「とにかく、いいから立ってよ」と、そんなやり取りをしたあげてく、彼女はイスから立ち上がった。

 なんか、僕と彼女の間で、不穏な空気が流れていた。

 まあいいやと思いながら、僕はその場を立ち去ろうとした。

 彼女は、またイスに腰を下ろそうとしたが、その時も、またスカートがめくれてしまった。でも今度は、すぐに、そのことに気づいて、自分でスカートの裾を直した。それから、僕の方を、チラリと横目で見上げた。

 僕は、ちょっと困った感じで、すぐにその場を去った。

 彼女の下着が、どんな色をしていたのか、もちろん僕は覚えているけど、そのことはここには書かない。

Scene 9

 ワンゲル部の活動も終わってしまい、僕は北海道に帰った。

 お金がなかったわけじゃないけれど、鈍行列車(今で言う「普通列車」)を乗り継いでいった。

 まずは中央本線で塩尻まで上がり、そこから篠ノ井線で松本へ。さらにそこから大糸線に乗り換えて糸魚川まで行った。そこから日本海側の信越本線、羽越本線、奥羽本線を乗り継いで青森までたどり着いた。

 津軽海峡は、もちろん青函連絡船に乗った。これは4時間半ほどかかる。

函館からも、各駅停車の列車を乗り継いで、まずは札幌まで。そこから滝川回りで、富良野、新得、そして帯広までたどり着いた。

 2泊3日の列車の旅だった。

 その間、列車に揺られながら、いつもタラのことを考えていた。というか、タラのことが、頭から片時も離れなかった。夏合宿で1週間あまり、朝から晩までずっと彼女と一緒に過ごし、彼女がその時々に見せた表情だとか、彼女の言葉などが、いつも僕の頭に生々しく甦っていた。まるで、僕の中にタラが住んでいて、いつも彼女と一緒にいるような気持ちだった。

 帯広に着いてから、タラに手紙を書いたような記憶がある。すると、すぐに返事が戻ってきた。

 選挙運動のバイトをしていると書いてあった筈だ。毎日、ワゴン車に乗って手を振っているので、すっかり日に焼けてしまったという内容だった。大きくて、丸っこい字で書いてあった。何度も何度も、その手紙を僕は読み返した。

 

 ところで、タラのこととは全く関係ないのだけれど、富良野から新得まで乗った各駅停車で、不思議な人と出会った。確か60過ぎくらいのご婦人だったと思う。

 彼女は僕の隣に座ると、気さくに僕に話しかけてきて、あげくの果てに、こんな面白い話をし始めた。

「私には未来が見えるんだ。あちこち旅をして回りながら、その地域の未来がどうなんているかを見て回っているんだ。今私の目には、目の前の山に外国からのミサイルが次々と落ちてきて、爆発する様子が見える。近い将来、日本は外国からのミサイルに攻撃されて、破壊され尽くしてしまうんだ」

 当時は、「ノストラダムスの大予言」が流行っていた時期で、そういうこともさもありなんという気持ちで、その老婦人の言葉を聞いていた。

 彼女とは、新得駅で別れてしまって、その後お会いしていない。

 あれから40年以上も過ぎたけれど、ありがたいことに、まだ彼女の予言は当たっていない。 

 

Scene 10

 一つ、忘れられないエピソードを思い出したので書いておきたい。

 時期については定かに覚えていないが、多分夏合宿の前くらいだったと思う。

 僕はタラと、レコードや本の貸し借りをけっこう頻繁にやっていた。

 彼女から、ジャニス・ジョップリンのレコードを借りたり(確か「チープスリル」だったと記憶してる)、僕がピンクフロイドの「原子心母」とか「おせっかい」などを貸した。

 僕は、高校時代からの愛読書だった「人間のしるし」(岩波書店刊)を彼女に読んでもらいたくて、「絶対に面白いからと」半ば強制的に渡した。

 「人間のしるし」というのは、クロード・モルガンというフランスの作家が書いた小説で、ナチス・ドイツに占領されたフランスで、非合法出版に携わる男と、その妻の生き方を描いている小説だ。

 一週間くらいして、この本があまりに面白くて、地下鉄で読んでいて、駅を乗り過ごしてしまったと彼女から言われた。僕の愛読書を、タラも気に入ってくれて、僕はとても嬉しかった。

 ところで、この本を乗り物のどこかに忘れてしまって、なくしてしまったと後日告げられた。そして、買ったばっかりの新品の本を、僕は彼女から手渡された。

 なんか、複雑な気持ちだったことを僕は覚えている。


 さて、夏休みが終わって、僕は名古屋に帰った。

 すぐにタラに会いたかったけれど、別に恋人でもないわけだし、電話して呼び出すわけにもいかない。

 僕は、2学期が始まって、また彼女と再会できるのをじっと待っていた。


 衝撃的な話をタラから聞いたのは、確か2学期が始まって間もなくの頃だったと思う。

 「私、英米学科の○○君と、つきあうことにしたの」

 不意に、タラの口から、そんなセリフが飛び出してきた。

 大学の中庭を二人で並んで歩いている時だったと思う。その言葉を聞いて、一瞬、わけが分からなくなってしまった。何と答えたらいいのかも、もちろんわからなかった。

 ずっと心に秘めてきた恋が、一瞬にして消え去ってしまった瞬間だった。心にひんやりとした寒気を覚えた。目の前の風景が、妙に薄暗くなった。

「へえ、そうなんだ」そんな言葉が、しばらくしてから口をついて出てきた。

 それ以上、何も言えなかった。


 どうしてそんなことを、わざわざタラは僕に話さなくてはならなかったんだろうと、今になって不思議に思う。

 別に僕の了解が必要でもないわけだし。

 でも、あえて僕にそのことを話したというのは、そうした方がいいという彼女の心の動きがあったからなんだろう。

 じゃあ、その「彼女の心の動き」って、いったいどんなことだったんだろう?

 それは、いくら考えても定かにはわからない。

 でも、そのことを僕に伝えたということは、なにがしかの葛藤なり、自己正当化なりの気持ちがあったということなんだろう。


 とにかく、僕は失恋した。

 何も、具体的な行動に出る前に、僕は失恋してしまった。


 その時に、「じゃあ、タラのことは、スッパリと諦めよう!」って気持ちの整理ができたのならよかったのだ。

 今でも、つくづくそう思う。

 でも、ワンゲル部の活動を通して、しょっちゅうタラとは顔を合わすし、以前と同様に、タラは僕に何でも親しくお喋りしてくるし、僕はとっても気持ちの整理などできなかった。

 なんとなく、宙ぶらりんの気持ちのまま、その後も彼女と親しい友人のような関係を維持することになった。

 でも、それは一方では、とても辛いことでもあった。

Scene 11

 タラがつきあうことになった男のことを、ちょっと書いておきたい。

 彼は、ちょっと目つきのつり上がった、いかにもハンサムタイプの男で、ソフトテニス部に所属していた。いかにもプライドが高そうで、ちょっと偉ぶった話し方をする男だった。僕とは、学科も違うし、別に話したこともないのだけれど、学内でもどちらかというと目立つタイプだった。

 だから、タラから、彼とつきあうという話を聞いたとき、正直納得する気持ちを抱いてしまった。それは、いかにもありそうな話だなと、心底思ってしまった。

 だいたいタラ自体が、いかにも美人タイプの、外交的で目立つタイプの女の子だったから、彼とタラは、じつにお似合いのカップルだった。それは、僕も認めない訳にはいかなかった。

 僕の大学時代というと、いかにも地味で、目立たなく、どこかアウトサイダーっぽい雰囲気で暮らしていたから、言ってみれば、その男とは、真反対のタイプだった。

 だから、タラに恋をしていたものの、心のどこかで、どうせ僕なんかタラに相手にされるような男じゃないんだという、どこか諦めの気持ちを最初から抱いていたような気もする。


 10月の上旬に前期のテスト週間が終わった後、ワンゲル部は秋合宿に出かけた。

 秋合宿というのは、夏合宿と違って、3年生がそれぞれ特色のある登山計画を提案して、1,2年生が、その中から自由に好きな山行を選んで参加するという方式を取っていた。

 北アルプスや中央アルプスを提案したリーダーもいたけれど、僕は鈴鹿山脈を沢登りして歩く山行を選んだ。

 タラは、確か中央アルプスの山行に参加していた。

 僕らは、それぞれ別のパーティに入り、別の山を目指して出発した。

 僕は、藪をかき分けて山を登り、沢沿いに山をくだり、道なき道を上ったり下りたりしながら、鈴鹿山脈を縦横無尽に歩いて回った。

 途中で、部員の一人がケガをしてしまい、僕らの山行は最後まで続けることはできなかった。

 山の中を歩きながら、僕はいつもタラのことを考えていた。今、タラはどんな道を歩きながら、どんな風景を眺めているんだろうとずっと考えていた。




Scene 12

 タラが英米学科の男とつき合うことになったからといて、僕とタラの関係が疎遠になったとか、あんまり話さなくなっただとか、特別にそんなことにはならなかった。

 僕らは、とりあえず表面上は以前と同じように、同じワンゲル部員として普通に話をしていたし、ワンゲルの仲間と一緒に喫茶店に出かけたり、時には二人で喫茶店に入ったりすることもあった。

 僕は、あくまでごくごく普通に、彼女との関係を維持していた。内心は、色んな葛藤があったけれど、でも、それはどうしようもないことだった。

 ワンゲルの活動は、秋合宿が終わって、リーダー養成・サブリーダー養成の山行が始まった。

 つまり、僕ら1年生がサブリーダーとして、2年生がリーダーとしてパーティを組み、山に出かけた。

 もちろん僕とタラが同じパーティに入って、一緒に山に登るなんてことはなくなった。

 そういった意味で、僕にとってタラとの関係で幸福な時期というのは、もう終わってしまっていたのかもしれない。無垢に、彼女と一緒にいて幸せ感を楽しむということは、もうなかった。

 秋が過ぎ、名古屋にも底冷えのする冬が来た。

 大学生活はつまらなかったし、たいして勉強をした記憶もないし、好きな本を読み散らかしていた。そんな冬だった。

 年末になって、北海道に帰省した。

 タラに手紙を書いた記憶があるけれど、どんなことを書いたか、はっきりした記憶はない。たぶんタラからも返事をもらっていると、その内容も覚えてはいない。

 冬休みが終わり、名古屋に帰った頃、大学でタラと会った時に、彼女がこんなことを言った。

「私、○○君と別れたわ」

 突然のセリフでビックリしながら聞いた記憶がある。

 これもまた、誰彼にも喋っていたことではないと思う。でも、とりあえず僕には話してくれた。僕には、一応話しておなかくてはならないと考えたのか、そのあたりの彼女の本心はわからない。

 自分の気持ちの中で、ちょっぴり嬉しい気持ちが湧いてきた。これで、晴れて彼女はまたフリーになったわけだから。

 でも、僕の中で、だったらこの際、自分の気持ちを彼女に告白しようとか、そういったところには至らなかった。同じワンゲル部で活動している仲間だし、彼女との関係を、今のまま維持していった方がいいんじゃないだろうかという打算もあった。

 それに、これが一番の理由だけれども、たとえ僕が告白したとしても、彼女が僕の気持ちを受け入れてくれる自信がなかったのだ。だったら、このまま親しい関係を維持したほうがマシだろうと思った。

 ある意味、「逃げ」だとは思うけれど、あの時の僕は、そんなふうに判断した。


 いつだったか、大学の帰りしなに、タラが僕のアパートに寄っていったことがあった。彼女は、入り口の段差に腰かけたまま、部屋の中まで入ってこようとはしなかった。

 夜6時くらいから8時くらいまで、ずっと話していた。本の話だとか、音楽の話だとか、ワンゲルの部員の話だとか、そんなことを3時間くらいボソボソと話した。

 そろそろ家に帰るというので、僕は夜の道を、バス停まで送っていった。冷たい風がずっと吹いていた。

 僕も、彼女も、なんとなく気持ちが暗くて、彼女と一緒にいても、特別な心の温もりは感じなかった。

 でも、そうやって彼女と一緒に歩いていることの現実感が、僕には嬉しかった。

 気持ちが暗い時も、嬉しい時も、タラが、こんなふうにいつも僕の横にいてくれたら、きっと充実した人生が送れるんじゃないかと、そんな気がしていた。

 多分僕は、憧れの女性というよりも、親密な異性の友人という気持ちも、彼女に対して抱いていたのかもしれない。

 とにかく、そんな風にして、特別なこともなく、寒い冬が過ぎていった。

 

 



Scene 13

 暗く寒い冬だったけれど、それでも確実に春は近づいてきていた。

 2月の中旬に、1週間の試験週間があった。それが終わって、僕らワンゲル部は、すぐに春合宿に出発した。

 この「春合宿」は、「秋合宿」と同じように、3年生がそれぞれ自分で立てた計画を発表して、各部員が自分の気に入った計画を選んで参加するという方法を取っていた。

 ただし、「秋合宿」と大きく違うのは、春合宿は原則として「山に登らない」という点だった。観光旅行というわけではないけれど、国内の名所を訪れるというのが原則だった。ただし、ワンゲル部だから、もちろんホテルには泊まらない。キスリングにテントとシュラフを背負って歩き、食事も自炊だ。

 僕は、東京から連絡船に乗って、伊豆大島、式根島、神津島を1週間あまりで回ってくるコースに参加することにした。

 偶然にして、というか幸運にも、タラが同じ計画に参加することになった。

 僕らは、総勢七人ほどのパーティーを作って出かけることになった。まず名古屋駅から東京駅まで列車に乗り、そこから竹芝桟橋まで移動して連絡船に乗り込んだ。夜中の出発なので、船は大きく揺れながら真っ暗な東京湾へと出て行った。

  まず最初は伊豆大島だった。ワンゲル部の僕らは、原則どこへでも歩いて行く。まず活火山で、煙の昇っている三原山の頂上へ歩いて行った。島の反対側の波浮港へも歩いて行った。(あの当時は、都はるみの「あんこ椿は恋の花」で、ちょっと有名な港だった)

 ちょうど椿の花が咲き始める季節で、島のどこへ行っても赤い花が咲き乱れていた。

 夕方になると、テントを建てた海岸から、海の向こうに伊豆の目映い町の灯りが見えた。そんな灯りを眺めながら、僕らはちょっと旅愁の気分に浸った。

 僕のそばには、いつもタラがいた。でも、特に接近するという態度はとらず、つかず離れずといった適度な距離感を保っていた。

 伊豆大島では、ずっと晴天が続いた。次の神津島も天気がよかった。式根島に行ったときに、激しい雨に襲われた。僕らはテントの外に側溝を掘って、中に雨が入ってこないように工夫した。

 たまたま知り合いになった民宿の親父さんが、今晩、お風呂に入りにこないかと誘ってくれた。1週間近くお風呂に入っていなかったし、雨が降って寒かったし、その誘いはとても嬉しかった。

 その夜に、親父さんが古いワゴン車で迎えに来てくれた。その時は、嬉しくて皆で抱き合って喜んだ。

 タラが、「きゃー、嬉しい」と叫びながら、僕に抱きついてきた。僕も、彼女の背中を抱いて、「よかったね」と声をかけた。 

 タラにまつわる、いつまでも忘れられない思い出のひとつだ。

 

 伊豆の島を回り終わって、また東京へ向かう連絡船に乗った。畳敷きの広い二等船室に入って、僕らはそれぞれシュラフに入って寝た。もう、外の景色を眺めるという元気なんて誰も持ち合わせてなかった。

 たまたま僕の横にタラが寝た。

 どうして、タラが僕の隣に来て横になったのか、そのあたりの記憶はない。僕自身は、意図的にタラの横に行ったという記憶はない。きっと、たまたま偶然の出来事たっだんだろう。それとも、タラが何か意図を持って僕の隣にきたのだろうか? それはわからないし、彼女に尋ねたこともない。

 眠れないまま、シュラフの中で横になっていた。すると、寝返りを打つような仕草のまま、タラがの背中が、僕の体に強く押しつけられてきた。

 たまたま寝返りを打ったときにそうなったのか、それとも意図的なタラの行動なのか、それも僕にはわからなかった。 

 僕は、そのまま眠ったふりをしながら、じっとしていた。

 時間がたつにつれて、タラの背中と、僕の体の接した部分の肌が、だんだんと熱を帯びていくのが分かった。

 とても、安穏と眠っていられるような気持ちではなかった。でも、タラと接しているというだけで、とても幸せな気持ちだった。

 

 

Scene14

 大学2年生になった。

 もちろん僕とタラの間に、特別な進展はなかった。

 たしかに、伊豆七島からの帰りの連絡船の中では、タラが体を寄せてくるという不思議な出来事が起こったけれど、でも、それは何の痕跡も残さずそれだけで終わったしまっていた。

 入学式があり、大学にも新入生がやってきた。みんな新鮮な顔つきで、生き生きとキャンパスの中を闊歩していた。ワンゲル部にも新人が入っていた。男の子も女の子もいた。

 その中に、小柄で、ちょっと可愛い顔をした女の子がいた。部室で、雑談をすることが多くなり、ちょっとだけ親しくなった。でも、その子とはそれだけの関係だった。

 新人を交えて、最初の錬成に出発した。もちろん僕と、タラは別のパーティーだった。僕も彼女の、それぞれのパーティで、サブリーダーをしなくてはならなかった。山に入ると、僕とタラが話をするなんてことは一度もなかった。

 なんとなく彼女のことは意識しながらも、ずっと距離をとっていた。

 山を下りてきてから、いつものように駅前の居酒屋に集まって打ち上げの飲み会をした。その時も、僕もタラも、まったく別の席に離れて座っていた。時折、飲み過ぎてはしゃいでいるタラの甲高い声が、部屋の反対側から聞こえてきた。僕は僕で、同じパーティのメンバーと山の話をしていた。

 飲み会が終わり、店を出ると、僕の20メートルほど先を、駅に向かって一人で歩いて行くタラの姿が見えた。かなり酔っ払っているようで、足元がふらついていた。

 僕は急ぎ足で彼女に追いついて、「大丈夫かい?」と声をかけた。

「大丈夫よ、酔っ払ってなんかいないわ」という返事が聞こえたけれど、僕は彼女の右腕をつかんで一緒に歩き始めた。タラは、僕が彼女の右腕をつかんだことは、何も言わなかった。

 そのまま、僕らはポツリポツリとお喋りしながら駅に向かって歩いた。そうやって二人だけで親密に話をするなんて、ひと月かふた月ぶりくらいのことだった。

 大学2年生になって、新しく受けてる講義のことだとか、ワンゲルに入ってきた新人のことだとか、そんなことを話した。

 このところずっと話をすることもはく、なんとなく二人の関係はギクシャクしていたかれど、久しぶりに親密な雰囲気が漂っていた。それで僕は、ちょっとだけ安心した。タラも、どことなく嬉しそうな顔をしていた。

 まもなく、キスリングなどの荷物を置いてある場所に戻ってきた。先に来ている部員達が、ウロウロと集まっていた。僕は、彼女の右腕をつかんでいた手を離した。

 キスリングの置き場に戻ってから、一人で地下鉄に乗って自宅に帰れるか彼女に尋ねた。一緒に地下鉄に乗って送っていこうかと声をかけたけれど、それは大丈夫だとタラ答えた。

 そんなふうにして、新しい一年が始まった。


 

Scene15

 6月に入って、ワンゲル部を辞める決心を固めた。

 どうして、そんな決心をしたのか、今になっては、その理由を定かには覚えていない。

 別にワンゲル部の誰かと仲違いしたわけではないし、山登りが嫌いになったわけでもない。体力が落ちて、山登りができなくなったわけでもない。そういった真っ当な理由などひとつもなかった。

 ただ、もともと我が侭で、一人で自由気ままにしているのが好きだった僕は、集団行動というものに嫌気がさしてきていたのかもしれない。

 山歩きも好きだったけれど、自分一人で山に登りに出かけた方がもっと楽しいのじゃないかと思ったこともある。

 一緒にワンゲルに入った仲間が、2年生になって、みんな皮の登山靴を買っていたけれど、僕は相変わらずボロボロのキャラバンシューズだった、というのも理由の一つだったかもしれない。多少のバイトもしていたけれど、僕には皮の登山靴を買う金銭的な余裕なんて全くなかった。それで、内心寂しい気持ちになっていたのも事実だ。

 そんな中で、僕はワンゲルをやめる決心を固めた。

 ワンゲルを辞めたら、それじゃなくてもなかなか近づけないタラとの距離は、ますます遠くなってしまいそうな気がする。そんなふうに今の僕は考えるのだけれど、そのことは気にならなかったのかもしれない。

 タラとの関係は、ワンゲル部に入っていようが、辞めようが、結果は変わらないという居直りの気持ちがあったのかもしれない。もしかしたら、タラとは決定的な関係に発展することはないだろうという半ば諦めの気持ちを抱いていたのかもしれない。

 そんなことを色々と考えて、僕は退部を決意した。

(今にして考えると、あのままワンゲルに入っていた方が、その後も充実した大学生活を送っていたのだろうと思う。本当に、バカな決断をしてしまったのだと今になって反省しきりだ)