白いTシャツ

 しろいTシャツすがたのアキラたちが、あるきはじめた。あいつらのあとをちゃんとついていかないと、またおこられちゃう。
 ついさっきだって、デパートのまえで、ここにたってまってろっていうから、ずっとたってたら、なんでついてこないんだって、ひどくおこられちゃった。
 だから、ヒロシたちのすがたをみうしなわないように、ちゃんとあとをつていかなくちゃならないんだ。
 あいつらがどこにいこうとしているのか、じつはぼくにはよくわからない。でもついていけば、ちゃんとせんせいのいるところまでつれていってくれるはずだ。

 

「先生! タカシの姿が見えないんだ!」
 男子のグループに声をかけられたのは、地下鉄の改札口を出て、そのまま地下通路を駅にむかって歩いているところだった。
 駅の改札口につづく地下通路と、左右にのびるショッピング街とがちょうど交差している場所だ。地下鉄をおりて駅にむかう人々と、地下街をぶらついている人達で、あたりは混雑していた。
「どこで見失ったんだ?」と、私は、内心動揺しながら男子生徒に訊いた。
「ここまでいっしょに来たんだよ。そして俺たちがここに立って、集合時間まで三十分くらいあるから、それまでどうしようかって相談してたんだ。
 タカシは、俺たちの後ろからついてきて、その階段の下のところにつっ立ってたんだ。 それで、地下街でもぶらつこうかってことに話が決まって、後ろをふり返ったら、もうタカシの姿がなかったんだ」
「それは、いつのことだ?」
「まだ、ほんのちょっと前のことだよ。三分もたってないよなあ」と男子同士がお互いに声をかけあう。
「このあたりの地下街は、探したか?」
「うん、いちおうは見てきたけど」
「三分くらいじゃ、そんなに遠くまで行ってないだろう。もう一度さがそう」
 私は、五人の男子生徒を、右と左に伸びるショッピング街にふりわけた。
「五分後に、またこの場所で落ちあおう」
 生徒が駆け足で散っていく。
 私も、すぐに地下街を歩きはじめた。
 タカシの姿を求めて歩きまわりながら、やっぱりこの自由研修はタカシには無理だったのかと私は激しく後悔していた。
 タカシは、本来ならば養護学級に入って勉強しなくてはならいような生徒だった。しかし、他の友達と同じクラスで普通に勉強させたいという父母の願いで、小学校から中学校までずっと普通学級で勉強してきているのだった。
 今回の修学旅行でも、この自由研修をどうするかということが一番の問題になった。
 自由研修というのは、生徒がそれぞれ五、六人のグループを作り、自分たちの練った計画にしたがって、この街を散策してまわるというものだった。午前十一時に駅前を出発して、昼飯を食べ、博物館や美術館やテレビ塔やデパートなどを歩きまわり、また午後の五時に駅前まで戻ってくる。
 私が心配したのは、男子のグループが、六時間もの間、タカシを面倒をみながら、見知らぬ街を歩いてまわることができるだろうかという点だった。
 タカシは、普段の生活では特に問題は見られない。一人で十分ばかりの道を登下校しているし、トイレだって何の心配もいらない。担任の私が指示をすれば、他の生徒といっしょの行動もとれる。中学生としてのレベルでの活動はのぞめないが、クラスを乱すような行動をとるわけでもない。じつにおとなしく従順な生徒だ。
 問題と言えば、自分の考えをうまく言葉で表現するのができないことくらいだった。何か訊いても『うん』とか『いや』としか答えない。
 私は、タカシの自由研修について、彼の父母や他の同僚の先生にも相談し、またクラスの男子にも、この問題を投げかけて、最終的にはいっしょに自由研修にでかけるという結論に達したのだった。
 面倒を見る生徒たちにとって、タカシなんていう重荷がないほうが、ずっと楽にちがいない。それは担任としても充分にわかっていることだった。でも、タカシのような生徒の面倒をみながら研修してまわるというのも、社会勉強の一つだろうし、何よりもタカシに自由研修の楽しみを経験させてあげたいと私は考えていたのだった。

「先生! タカシの奴どこにも見あたらないよ。アイツ、どこ行っちゃったんだろう」
 五分たって、もとの場所に集まってきた生徒たちが口々に叫ぶ。どの生徒も額に汗をかき、ハアハアと激しい息をしている。
 私は腕時計を見て、時刻を確認した。
 集合時間の五時に十分しか残されていない。このまま五人の生徒だけをつかってタカシを捜すには限界がある。他の先生方や生徒にも手伝ってもらったほうがいいだろう。
「よし、いったん駅前の集合場所に戻ることにしよう」
 私は、五人の生徒を引き連れて、地上に出る階段をかけのぼった。

 

 このくらいトンネルはなになんだろう。このままあるいていけば、せんせいのいるところにいけるんだろうか。でも、あいつらがまえをあるいているんだからは、きっとまちがいないんだろうなあ。
 おや、こんどはかいだんをあがっていく。このかいだんをのぼれば、みんながいるのかなあ。けっこうきゅうなかいだんだ。つかれちゃうよ。
 さあ、やっとのぼったぞ。
 あれ、ここはえきのホームじゃないか。こんなとこにきちゃっていいんだろうか。
 あいつら、どんどんあるいていって、こんどはきしゃのなかにはいっていくよ。どうしよう。こんなきしゃにのってしまって、だいじょうぶなのかなあ。でも、まあいいや。とにかく、あいつらのあとにくっついて、きしゃにのってしまえ。

 

 集合場所には、他の先生方はみんな集まっていた。私はすぐに校長先生に、事実のあらましを伝えた。
「すぐに生徒に集まってもらって、男子生徒を使ってタカシを捜すことにしよう。女子生徒は、バスに乗ってもらって待機だ。
 タカシが見つかっても見つからなくても、とにかく十分後に、またこの場所に集合することにしよう。それでいいかな」
 校長先生が素早く指示する。
「十分たっても、まだタカシが見つからなかったらどうしますか?」
 今日の夜は、ここからバスで二時間ばかり走った温泉ホテルで宿泊することになっている。
 いくらタカシの行方がわからないからといって、修学旅行全体の計画を変更することはできない。
「その時は、警察に連絡しなくちゃならないだろう。誰かここに残ってもらって、警察といっしょにタカシの捜索に参加しなくてはならないだろうな」
 私と、もう一人のクラスの担任で、集めた男子生徒に大声で指示を出す。
 私は、男子を大きく三つのグループに分けて、一つは地下ショッピング街、一つは駅ビルの中、もうひとつは駅の周辺地域を捜すように怒鳴った。
 男子生徒の目も必死だった。
「それじゃ、頼むぞ。十分後に、ここに集合だ!」
 男子生徒たちは、「オウ!」と雄叫びを発して、それぞれ駆け足で散っていった。
 私は、もう一度階段を下りて地下街にむかった。そして、タカシが最後に立っていたという場所までもどった。
 ここにタカシが立っていた。そして、駅に向かって五、六段ほどの階段を上った場所で男子のグループが相談をしていた。
 私は、あたりを見まわした。
 あのタカシが勝手に歩いて姿を消してしまうなんていうことが、どうしても府に落ちなかった。絶対に勝手な行動をとるような生徒ではないのだ。
 ぼんやりとあたりを眺めていると、学校を終わって下校途中の中学生か高校生らしい生徒たちが、次から次へと地下鉄の出口から駅の改札口の方角にむかって歩いていく。
 黒い学生ズボンに白いTシャツ姿の男子生徒も多い。後ろ姿だけを見ると、私の中学校の生徒とまったく同じ格好だ。
 まさか!と、私は思った。
 タカシは、彼らの後ろ姿を、自分の学校の男子グループの生徒と勘違いして後についていってしまったのだろうか……。
 私は、彼らの後をついて歩きはじめた。彼らは、まっすぐ地下通路を進み、そのまま突きあたりの駅の地下改札口を、定期券を駅員に見せて通りすぎていく。
 でも、と私は思った。ここまで後についてきたとしても、定期券も切符も持っていないタカシが、改札口を入れるわけがない。
 私は、しばらくの間、改札口の様子をじっと眺めつづけた。改札口には二人の駅員が立っているが、よく観察していると、一人の方は、学生の差し出す定期券をいちいち確認していないようだった。
 タカシが、あすこを通り過ぎた可能性はありそうだ。
 じゃあタカシが改札口を通ってしまったとしたら、彼は今どこにいるのだろう。私は、あわてて電光板の列車発着時刻表を見た。
 五時七分と五時十一分に、それぞれ行き先の違う各駅停車が出発することになっている。今、時刻は五時をすぎたところだ。
 私は、悪い予感を抱きながら、あわてて自動販券機で入場券を買い求め、改札口を入ることにした。

 

 よくみたら、アキラもヒロシもだあれもいなかった。ぼくがあいつらだとおもって、あとをついてきたけど、きしゃにのったら、だれもいなくなっていた。
 いったいあいつらどこにいったんだろう。しかたがないから、ぼくはきしゃのイスにすわったまま、あいつらがくるのをまつことにしたんだ。それにしても、だんだんひともおおくなってくるし、ぼくはどうすればいいんだろう。このきしゃにのっていたら、せんせいにあえるんだろうか。ちょっとしんぱいだなあ。

 

 薄暗い地下通路を私は走った。発車時間が近いせいか、生徒の姿もずいぶんと多い。
 ホームにむかう階段を二段飛びに駆けあがる。
 五時七分発の列車は二輌編成だった。
 私は、端の車両のドアから車内に乗りこんだ。車内は通学の生徒たちで混雑していた。通路にまでびっしりと人が立っていて、謝りながら歩かなくてはならないほどだ。
 私の中学校と同じような黒い学生ズボンに白いTシャツ姿の生徒も多い。
 私は通路の左右の席の乗客を確かめながら、人をかき分けて通路を進んだ。混雑している人を押しよけて歩いていると、途中、何度も嫌そうな目つきで睨まれた。
 なんとか二両目の端までたどり着いたところで、発車を知らせるベルがホームに鳴りわたった。
 私はあわててドアから外に出ようとした。ベルの音で、急いで列車に乗り込もうとする人がいて、ドアのあたりで押し合いをしてしまい、「バカヤロウ!」と高校生くらいの図体のでかい茶髪の男子生徒に怒鳴られた。
 それでもとにかくホームに降り立ったところで、列車のドアが閉じた。
 今の列車にはタカシは乗っていなかった。とすると、もうひとつの列車のほうだろうか。見ると、線路をはさんだ向かいのホームに、五時十一分発の列車がとまっている。
 発車まで時間がない。
 私は、あわてて階段を二段飛びしながら駆け下りた。背中は、もう汗でびしょぬれだった。額からも汗が流れ落ちてくる。その時だ。視界の中で、階段が重なって見えた。次に、足をどこに乗せればよいのか一瞬わからなくなった。不安がよぎったその時、ステップに左足のつま先がひっかかった。
 ゴリッと足首に音がして、上体がふわりと宙に浮いていた。差し出した両腕と胸のあたりから、体がゆっくりと落下していった。
 次の瞬間、ステップの角にはげしく激突し、五段くらい滑り落ちたところで、ようやく体が止まった。
 一瞬、息ができなかった。
 掌から肘、胸のあたりが激しく痛んだ。そのままの姿勢で、しばらく息を整えた。
 体の向きを変え、ゆっくりと立ち上がろうとした時、左の足首を激痛がつらぬいた。
 階段を歩いていた通行人が二、三人ほど、心配そうに私を眺めている。
 私は、なんとか右足だけで立ちあがり、壁のところまで移動して、手すりにつかまった。見ると上着のボタンは取れ、袖もワイシャツも泥だらけだった。掌からは血がにじんでいる。
 私は、片足のままゆっくりと階段をおりた。そのまま、地下通路をケンケンをしながら進む。そしてふたたび手すりにつかまり、片足で一段一段と階段を上った。
 左の足首が燃えるように熱かった。
 階段を上っていく人達が、みんな怪訝そうな顔で私をそっと眺めている。
 ようやく階段をのぼり終わり、私はホームに沿ってびっこを引きながら、列車の窓ガラスから車内を覗いて、タカシの姿を探した。 でもタカシの姿は見当たらなかった。
 二輌編成の一輌目を終わったところで、発車を知らせるベルがホームに鳴り渡った。
 どうしようかと私は迷った。この列車には、タカシなんて乗っていないのかもしれない。もしかすると、今頃誰かがタカシを見つけて集合場所に連れてきているかもしれない。
 でも、もしも乗っていたらどうしよう。
 駅前の集合場所に集まる時刻はとうに過ぎてしまっている。この列車に乗り込んでしまえば、タカシが乗っていないとしても、次の駅からタクシーでここまで戻ってくるのに三十分以上は時間がかかるだろう。
 列車に乗ってしまうべきか、それとも集合場所に戻るべきか、発車を知らせるベルの音が途切れる瞬間まで、私は迷い続けていた。

 

 あれ。どこかでベルのおとがなってるぞ。どこからきこえてくるんだろう。
 てんじょうのスピーカーで、だれかがなにかをしゃべってる。
 ドアがしまった。きしゃがゆれてるぞ。そうか、うごきだしたんだな。
 それにしても、このきしゃ、どこにいくんだろう。せんせいは、どこにいるんだろう。みんなは、どこにいるんだろう……。
 あれっ、だれかがぼくのあたまをなぜてるぞ。だれだろう、ぼくのあたまをなぜてるのは? なんだスギヤマせんせいじゃないか。スギヤマせんせいが、ぼくのあたまをなぜながらうれしそうにわらってる。
 だから、ぼくも、せんせいにむかってニコリとわらいかえしたんだ。

【十勝毎日新聞 1997年(平成9年)10月19日 掲載】