私は、呪われた女だ。
手を握った相手の未来が見えるという、こんな恐ろしい能力を、私はありがたいだとか喜ばしいだなんて感じたことは一度もない。
正直なところ、こんな力、私にとってはおぞましいだけだ。恐怖以外の何ものでもない。だって、神様でも何でもない私が、他人の未来が見えたからといって、いったいどんないいことがあるというのだろう?
考えてみるといい。一週間後に、相手が交通事故で死ぬ場面を見たとしても、それを止める術を私は何ひとつ持ってはいないのだから。私ができるのは、ただ「交通事故に注意しなさい」と相手に教えるだけ。そして、相手の死をただじっと待つだけ。
この呪われた力のせいで、私はつい先日、背筋が凍りつくほど恐ろしい未来を覗いてしまった。決して見たくない映像、それはなんと私自身の体に、グサグサと何度もナイフが突き刺さる場面だった。
ナイフを突き刺した相手の男は、あの宮原さんだった。
宮原さんというのは、もう五年も前から私の面倒をみてくれている大事な大事なパトロンさんだ。
この豪華なマンションを私に買い与えてくれたのも、繁華街のビルの一角に、占いの店を開いてくれたのも、全て宮原さんだ。
宮原さんと出会うまでの私は、ほとんど定職も持たず、夜になると駅前通りの舗道にイスとテーブルを置いて占いをしたり、たまに誘われるままに体を売ったりしてお金を稼ぐ、しがない女占い師だった。
本当は、この忌まわしい能力を使って生活費を稼ぐなんてしたくはなかったのだ。世にもおぞましい力であるからこそ、そんなものから離れて暮らしていきたかった。できれば普通のOLかデパートの店員あたりで、目立たず地味に生きていきたかったのだ。
でも、もともと堪え性のない私は、どんな職場に入っても、すぐにドロドロとした人間関係に嫌気がさし、転職を繰り返すようになっていた。たまたま失業期間が長く続いて、その日の食べ物も手に入らないような状況になり、やむを得ず、このおぞましい力を使ってお金を稼ぐことになったのだった。
宮原さんは、もともと通りすがりのお客にすぎなかった。私は、いつもするように相談を聞いてから、彼の左手を私の両手で挟み、脳裏に浮かんできた映像をそのまま伝えた。
あの時、宮原さんが、どんな相談を打ち明け、私がどんな未来を見て、何を話したのか、何ひとつ覚えてはいない。相手の男が、五十過ぎの恰幅のいい、ブランド物のスーツや腕時計を身に纏ったお金持ちだという印象を抱いたくらいだった。
一週間ほどして、再び宮原さんが現れ、また別の相談を打ち明けられた。その時も、彼の左手を掴み、私は脳裏に浮かんだ映像をそのまま伝えた。
それから十日ほどして、三度目にやって来た宮原さんは、私の生活の面倒をみさせてほしいと、唐突に話しかけてきたのだった。
私の占いのお陰で、仕事上の窮地から脱することができたばかりか、またとない大規模な契約を結ぶことができのだそうだ。
生活用のマンションと、占いの店も準備するから、ぜひにという申し出だった。ただ一つの条件は、毎週一回、彼のための「夜」を提供してほしいということだった。
そんな美味い話が、突然に降って湧いてくるなんてあり得ないと、最初、私は彼の話を信じてなかった。どうせ私を騙して、体とお金をかすめ取る気なんだろう。そんな程度の気持ちだった。
でも後日、彼の経営する会社に招かれたり、私に買ってくれるというマンションまで案内されて、もしかすると本当のことなのかもしれないと少しずつ彼の言葉を信用するようになっていった。
そもそも私が、初めて自分の不思議な能力に気づいたのは中学校一年生の秋のことだった。ちょうど初潮を迎えた頃だから、もしかするとこの力は、女の生理と何か関係があるのかもしれない。
当時、私はバレーボール部に加入していた。もともと運動神経の鈍い私は、どれだけ練習しても技術が上達しなくて、そろそろ辞めたいと考え始めていた頃だった。
たまたま仲のよかった友人がレギュラー選手に選ばれ、翌日の大会に出場することが決まった。「明日の試合、頑張ってね」と友人の手を掴んだ瞬間のことだった。
私の脳裏に、熱を出して布団に横たわっている友人の映像が、電光のようによぎった。
翌朝、友人はインフルエンザの高熱で試合に出られなかった。
その時は、単なる偶然の一致くらいにしか考えていなかった。
でもその後、誰かの左手を自分の両手で掴んだときに、決まって不思議な映像が脳裏に浮かび、その後必ず相手はその映像通りの状況になるということに私は気づいた。
まだ純朴だった私は、バカ正直にも、そのことを友達の何人かに打ち明けてしまったのだった。
最初、誰も私の言うことなんて信じようとはしなかった。でも間もなく、私の見た映像通りの未来が訪れるということがわかると、友達の態度がガラリと豹変した。それまで親しかった友達が、誰も私に近づいてこなくなったのだ。もちろん声もかけてはくれない。そして、怪物か化け物でも見るような訝しげな目つきで、じっと遠くから私を眺めるようになった。
私は、完全な一人ぼっちになった。
この不思議な力のことを打ち明けてしまったことを私は激しく後悔した。そして、もう二度と誰にも話さないと強く心に誓った。
中学校を卒業して高校に進んだ時、これを機に私は普通の女子高生として、新しい友達を作り楽しく生活していこうと思った。
でも、どこから伝わってきたのか、私の不気味な能力のことが噂として学校中に広まり、結局、高校時代も、私は独りぼっちで過ごさなくてはならなかった。
それもこれも、すべて、このおぞましい力のせいだった。
宮原さんは、決まって毎週木曜日の夜七時すぎに私の部屋にやってくる。それ以外の曜日にやってくることはない。会社か家庭の都合があるのだろう。私は、その日だけは占いの店をお休みにして、午後から料理を準備し、彼がやってくるのを待つ。
彼が現れると、まずはリビングルームのソファに向かい合って座り、彼の左手を両手で挟む。そして脳裏に浮かんできた映像をそのまま彼に伝える。
彼は、いっさいコメントを挟まないで黙って私の話を聞く。詳しいことはわからないが、私の見る未来の映像が、彼の会社経営に重大なヒントを与えてくれるらしい。
それが終わると、私たちは一緒に夕食をとり、その後ベッドに入って男と女の濃密な時間を過ごす。
宮原さんが、私の体を、鋭いナイフでグサグサと刺す映像を見たのは、ついひと月ほど前のことだ。
いつものように両手で彼の左手を挟んだ瞬間、その映像が暗闇を裂いて眼前に飛び出してきた。
それは、ナイフが何度も体に突き刺さり、鮮血が吹き出す瞬間の映像だった。私は、あまりの恐ろしさに体が凍りつき、身動きひとつできなかった。息もできず、叫び声も出てこなかった。それくらい、ショッキングな映像だった。
「どうしたんだい?」宮原さんは、私の異常を感じたらしく、すぐに訊いてきた。
「ごめんなさい。今日は体調が悪いせいか、何も見えないの」
女の直感が、今の映像は宮原さんに伝えない方がいいだろうと私に囁きかけた。
宮原さんは、少し訝るような表情を浮かべたが、
「長くやっていると、こういうこともあるんだな。……まあ、しょうがないだろう。腹が減ってるからメシでも食べるとするか」と言ってくれた。
食事が終わってから、二人でベッドに入ったが、私はいつものようにセックスに没入することができなかった。
宮原さんが帰ってしばらくすると次第に気持ちが落ち着いてきた。先ほどの映像を冷静に振り返るだけの心の余裕が出てきた。
ナイフを持っていた手は、明らかに男のごつい手だった。そして茶色ぽいジャケットの腕の部分が見えた。宮原さんは、普段から茶色のジャケットを気に入ってよく着ている。ナイフを持っていたのは間違いなく宮原さんだろう。刺された方の衣服は、ピンク色だった。私がよく部屋着として使っているピンク色のトレーナーのようだった。
間違いない。先ほどの映像は、宮原さんが私をナイフで突き刺す場面だったんだ。私は、背筋が凍るような恐怖感に怯えながら、そう確信した。
なぜ、宮原さんは私を殺すのだろう。もしかすると、ダイスケと私との関係が、宮原さんにばれてしまうのかもしれない。そして、嫉妬に狂った男の激情で、私を刺し殺すことになるんだ。きっとそうに違いない。
でも、たとえそうだとしても、ダイスケとの関係を切るなんて、今の私には到底できそうにない。
ダイスケは、私の占い店が入っているビルの小さなスナックで働いている。年はまだ二十三で、スマートで機敏で野性的で、危険な香りのする若者だ。
彼とのつきあいは、もう半年近くになる。
もともと私に興味をもって近づいてきたのはダイスケの方だった。ビルの廊下で何度かすれ違ううちにお互い顔見知りになり、「今度お店に行くから、俺の将来を占ってくれ」と、本気とも冗談半分ともつかない口調で私に声をかけてくるようになった。
その後、「今度、一緒に飲みに行こう」が彼の口癖になり、たまたま仕事が終わった後に彼と飲みに出かけることがあった。
その夜、彼の熱い口説き文句にほだされて、そのままホテルに行ってしまった。若い男から口説かれる経験なんてあまりなかった私は、ついその気になってしまったのだった。
彼とは、それ以来の付きあいだ。
ダイスケとのことだけは、宮原さんに絶対ばれないように、細心の注意を払っている。
彼を私の部屋に招いたことなんて一度もないし、二人が会うのは、必ず郊外のホテルと決めている。それも頻繁にホテルを変えるようにしているし、二人一緒にホテルに入らないようにもしている。
ケータイだって、ダイスケ専用のものを別に一台買ったくらいだ。普段使っているケータイを、いつ宮原さんに見られてもいいようにと考えてのことだ。
そうやって細心の注意を払ってきたつもりだけれど、これからも更に用心を重ねたほうがいいのかもしれない。
ナイフが私の体をグサグサと突き刺す映像を見てから三ヶ月ほどが過ぎた木曜日の夜、ついにあの忌まわしい出来事が起きた。
その夜、宮原さんは、いつもより一時間ほど遅れて私の部屋にやって来た。
玄関のドアを開けて入ってきた宮原さんの顔は、幽霊のように青ざめていた。
ソファに座るように誘うと、彼は右手でそれを制して、立ったまま私の顔を間近からじっと睨みつけた。
「俺に、隠してたことがあるだろう……」
静かな口調で彼は呟いた。声が少し震えていて、激しく揺れる感情を必死で抑えているのがわかった。
とうとうダイスケとのことがばれたんだ。私は直感で悟った。細心の注意を払ってきたつもりだったけど、どこかから彼に漏れたんだ。
私は、さりげなく彼と自分の服装を確かめた。彼は茶色のジャケット、私はピンクの部屋着だ。まさに映像の通りだった。
私は、内心覚悟を決めた。
でも、できるところまでシラをきり通すつもりだった。
「いったい何のことなの?私、あなたに隠しごとなんて何もしてないわよ」
「もう一度だけ訊くぞ。俺に何か隠してるだろう!」
地獄から聞こえてくるような不気味な声だった。自分の頭から血の気が引いていくのがわかった。
「だから、いったい何のことなの。私、あなたが何を言ってるのか、さっぱりわからないわ」
明るい声を装って答えながら、私は少しずつ後ずさっていった。
もうじき、あの映像の通り、私は宮原さんにナイフでメッタ刺しにされ、血だらけになって死ぬんだ。
後ずさるのにあわせて宮原さんが鬼のような恐ろしい形相で、私に迫ってくる。
私は、それ以上さがれないところまできて、そのままソファに座り込んだ。
「あなたが何を言ってるのか、私、ホントになにもわからないわ!」と、かろうじて声をかけながら、私は右手をソファの割れ目の奥へと差し入れた。指先が、果物ナイフの柄の部分に触れた。
どうせ刺し殺されるんなら、その前に相手を刺し殺してやる。そのつもりで、以前から密かに隠しておいたナイフだった。宮原さんが襲ってきたら、いつでも突き出せるように、私は柄を強く握りしめた。
私の見た未来を、私自身の力で変えてやるんだ。
「お前が見た映像で、何か俺に隠してるものがあるだろう!違うか?」と、宮原さんは狂ったような強い口調で叫び上げた。
「俺は、たった今、妻を包丁で刺し殺してきたところなんだ。……アイツは、アイツは俺に隠れて若い男と付きあってた。それが今日、部下に教えられてわかったんだ……家に帰って、そのことをアイツに問い詰めたら、そんなの、ただの遊びよと居直りやがった……チクショウ、俺をコケにしやがって!」
宮原さんは、ガクリと肩を落とすように力なくうなだれた。
「なあ、俺が刃物で妻を刺し殺す場面、お前は見なかったのか?……本当は見たんだろう……だったら、どうして教えてくれなかったんだ?」
私は、何も言えずに、ただ宮原さんの怯えた表情を見ていた。
「もう、すべて終わりだ……」
そう呟きながら、宮原さんはソファの横を、ゆっくりと通り過ぎると、そのままベランダのガラス戸を開けた。
初秋のひんやりとした風が、室内に舞い込んできた。街を行き交う車の騒音が、遙か遠くから聞こえてきた。
「ねえ、私……」と、彼に声をかけようと振り返った時、もう宮原さんの姿はベランダにはなかった。
二、三秒して、ゴツンと路面に落ちる小さな音が遠くから聞こえてきた。